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▼百合奈さん:
こんばんは(^−^)
そうですか…。それで一家生活…。忍耐力が養われたASって、ほんと強いですよ。節制生活のスキルも身に付け済みなんですね。それ、強さですよ。
まず、下っ端がいい、という感覚は、百合奈さんの持ち物なので、それはそのままでいいと思います。
悲しいことは、それがリアルでは通用しない場合があるということ。
これは誰が悪いと言う問題では無いんです。ASの世界と一般人の世界がまだまだ繋がっていないからだと思うし、AS支援を研究している人たちもまだ切り込んでくれていないことだと思うんです。
残念ですが『私、いつまでも下っ端がいいです』という意思表示は、組織の中ではやめて欲しいと私は若い頃に指導されました。
言い方とかをブリっ子したのでもなく、私自身の落ち度を棚上げして周りを不快にしたタイミングでもないつもりでも、です。
下っ端というのは、決定をしなくていいポジションです。問題が発生して次することの選択肢が二つも三つもあって、でもどれをしても誰かに不具合が出てしまう場合、何かを選んでしまうことで、敵ができるかもしれません。それは急を要する事態だとなお、目に見えなくなってしまうので、そういう訓練を積んでいないASには処理し切れません。
のちのちどうしていいかが、さっぱり分からなくなります。人に聞いたりビジネスマナーを守ってどうにかなる問題では無く、本人の裁量の範囲、という白黒付かない世界の問題になってしまいます。損をさせた協力者へのアフターフォロー?、業績を上げて名誉挽回?、とかマニュアルも見本もコーチも存在しないものなんてできるわけがありません。
私が『全員に良く思われること』に、時々強迫的にこだわるのはそういうパニックを味わって、後始末ができず、パターンとして存在しないので後のためにも覚えられず、なおどこへ行っても誰も私をケアし切れず、見捨てられた経験をして来たからです。
下っ端に居続けるということは、後から入ってきた人にも、私や百合奈さんをどう捉え、どう扱うのかを一時的に悩ませ、考えさせてしまうプロセスを踏ませてしまいます。(その混乱や迷惑を避けるのが障害者枠雇用ですね)
それは背筋が凍るプレッシャーになる時もありますが、誰もその負担を手伝ってはくれません。あくまで本人都合なんです。本人じゃないと分からないからです。
昭和は、労働者が受け身でも良いシステムがどこにでもあったそうですが、今は個人で仕事を組み立てていって、提案して、協力を取り付けて実行していく、まだまだもっともっとの成長を望まれるシステムになってきています。そんな挑戦的な業務に一見見えない企業でも、これから求められていきます。それができなければ「居なくていい」人材になります。
それについていけていない私は、本来は人材として“裏切り者”のようなポジションなんです。
社会は、本来は謙虚の塊のようになれるASを“裏切り者”のままで、関わった人に罰されるがままで、人に関わっても関わらなくても裁きの執行がちらつかされてしまうままで、野ざらしで放置しているんです。それがどんなに傷ついて痛いのかも、地味で目立たないのをいいことに存在しないことになっている。
>自分が上位グループなほうが不安です。
商売の世界に出てしまえばその日からすぐ下っ端新人な気がするんですけど…。
とりあえず作品を認められて、黙ったまま病むと本物の病人になりますが、「とんでもありません!まだまだです!未熟者です!」と全力で謙遜の言葉を言いながら、しっかり次の仕事を取り付ける、そういうしたたかな要領なら、この掲示板でも聞いていけると思います。
その辺を説明しない、学校の先生たちにも百合奈さんへのケア不足を感じますね。百合奈さんが現実問題に向き合って心配しているのに、違う次元からしか百合奈さんに話をしていない。
完成までたどりつける技術がどうして大切で、プロの仕事場ではどういう理由で必要とされるのか。そこが百合奈さんに伝わっていないっぽいですね。誉めるだけだと足りなそうです。
“消去法”で言われていると感じているんですね。
あいさつ代わりの誉め言葉とか社交辞令程度の重みでしかコーチされていないと、百合奈さん自身は感じているんですよね。
先生たちはどういうつもりなのかを、百合奈さんに分かるようにもっと説明する責任があると思うんですけどね…。
足りないですね。すれ違いを感じます。
百合奈さん本人は若いから、たくさん想像して心配していっぱいいっぱいなのにね。やるなら三者懇談ぐらいに親御さんも巻き込まないと、進路指導として不十分な気がします。
>私はとりあたまさんが
残念ながら、うらやましがられる人材じゃないんですよー。
逃げ道が無いだけ。
上にも書きましたが、劣ったまま、ぬけしゃあしゃあと働いているんです。そういうつもりがなくても、そういう形にしかならないんです。望まれて働いている人材では無いんです。
ASは…特技が抜きんでている人もいる、特技が無い人もいる、特技が無くても感覚過敏などがひどくて、“信頼回復”とか“名誉挽回”とかプライドを掛けたことを言ってる余地も無く、「今すぐ配慮して特別扱いしてください!」と声を大にして言って要求を聞いてもらわないと正気を保てないかもしれない人もいて…。
ASが集まると、互いの持っているものは羨ましくなりますし、私も「うらやましい」と相手を称賛する気持で言うこともありますが、何を手に入れて社会に出ていっても、社会は『正解』『合格』を示してくれないんです。それは普通のことですから。
忠実に突進しないと分からない、でも分かっても誉められない、でも傷つき過ぎてもいけない、疲れ過ぎてもいけない、病気になったら注意される、でも他に十分な慰めを求める場所は用意されていない、当事者は……掲示板をご覧のとおり、自分でいっぱい、でも不景気で一般の人も余力は無い、そもそもASが分からない、でも傷つき過ぎたら注意されて、疲れ過ぎてもうざがられて、支援場所では投げたボールがそのまんま自分に返ってきて、全力突進できなかったら信用が落ちて…たらいまわしです。
誉められなくても良かったとしても、業務は正解を出せなければ収入をもらう資格が無くなります。困ります。でも、たらいまわしです。最後は無視です。
罰され感、さまよい感、戸惑い感は何年たってもぬぐえませんが、それは自分が悪いわけではありません。
それが社会の、組織の正体だと私は認識しています。なかなか分かりやすく書けなくて、すみません。
進路に全力で向き合う意識は素敵なことだと思います。
でも、返信を頑張り過ぎても疲れると思うので、無理しないでくださいね。
ご家族とまだ同居なら、年末なので家事の手伝いもあるでしょうし、宿題にも、年賀状書きにも、友達づきあいにも、休憩にも、バランス良く時間と体力を配分して、まいらないようにしてくださいね。
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