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▼とりあたまオバサンさん:
>▼Cyperus−Aさん:
HNは“シペラス”と読みます。“カヤツリグサ”という雑草の学名からとりました。
>自ら進んで供養の行動を取れない心のやましさ、居心地悪さの存在を認識できていることは、自分の精神状態を理解するのが大変な面があるASにとっては、努力の結晶であり、そこまでたどりついたことがとても健全であるのではないでしょうか。
痛み入ります。
>しかし、全国の皆さんやこれからの世代が同じであっては、もちろんいけません。
全くそのとおりです。
>そのために私達当事者が、こうして自分の内面をさらしつつ、あんな方法、こんな方法、人体実験しつつ、ASの存在を“恥ずかしくない”ところにまで引き上げられるまでに一般化しようと努力している、私を含めた皆さんがそれを忘れないようにして、道から外れないように努めれば、間違いは無いんじゃないかと感じました。
>もっと欲を言えば、それらを総括することを引き受けてくれるところがどこにも無いことは不満ですが。
>私の親はまだ生きて自立生活を送れていますが、将来老衰して介護が必要になっても私は何もできませんし、それをことあるごとに予告しています。
>そういう後ろめたさは持ち歩いているので、せめて親の最後のひとときには、人生を振り返った時に“達成感”を感じてもらえるのだろうか?という、宿題のような?課題のような?謎は感じることがあります。
AS周辺のハンディを持った方々一人一人に、一つでも”笑顔(^_〜)”が増えるように、微力でも何かできそうなことをやってみる…それが私たち先輩たちの務めのような気がします。
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