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▼デ・ハビランドさん:
>とりあたまオバサンさん、リズムさん、そろばんさん、こんにちは。
こんばんは〜。
>でもそれでは将来大変なことになってしまう可能性があるので、
>家族にも「私は自分の良い面しか精神科の先生に見せないかもしれないから、
>私にされたことを洗いざらい全部話してほしい」と伝えました。
先への見通しを立てて、自分で判断し、戦略を考えられるのは、敬意を表するに値する自立心ですよ。
>カウンセリングについてですが、最初に通っていた病院で受けていた時、
>精神疾患にかかった理由を考える過程で、
>だんだん話が「家族の中から戦犯を探す」といった方向に行ってしまったので、
>これでは逆に精神衛生上良くない、と思ってやめてしまいました。
>
>今考えると、自分の話し方にも一因があったような気がするので、
>もしも今後改めてカウンセリングを受けることがあったら、
>前回やめた時のことを思い返して注意しようと思っています。
今の(といっても私が不満を持ち始めてから十年以上もたつんですけどね)カウンセリング形態は、話す主導権を本人に取らせる、ユング式とかなんとかいうのが主流なんだそうです。
ただでさえ自分で話していても話がズレていって、解りやすく話せているかのプレッシャーは半端ないのに、反応が返ってこないと放置で処刑されてるような気さえします。
カウンセラーは仕事で傾聴しているだけなのに、私が勝手に来て勝手に受付して自分の首の縄を絞め続ける、いつまでたっても病院に来た目的が達成に向かっていかないんですよ。
私の病的症状なのですが、頭の中で、本で読んだり、ネットで読んだりした、認知矯正の理想論が読み上げられ、カウンセリングでいつまでも核心への入り方が分からない不満をしゃべりだし、それを否定する自制心の戒めがかぶさり、目指す自己コントロールのかなう日への忍耐を強制する説教も始まり、カウンセリングの治療に従順に付いていって評価や成績とかをあげてゴールする理想の患者像、優等生な当事者像のシュミレーションも強制的に流れ出し、子どもの時から身に付けた人生観とか大人観とかモラルとかと比較検証が始まり、今でもここの掲示板に書いているような話のもっと未熟で稚拙な話の文章作りが始まり、途中でフラッシュバックしたりなんかして、真っ白になって、自分で自分の胸ぐらを掴んで引きずりまわすかのような怒りが自分に向いて、始めからやり直しで、以下20時間。
寝不足のまま連日頭の中でこういう騒音が流れ続けた時期もありました。
効果的なカウンセリングの在り方は当事者それぞれでしょうが、人さまが頭の中の主導権を一時的にでも取ってくれることで、非常に落ちつくタイプもいると思うんです。
でも私はその希望にたどり着けないし、探しだせなかった。
カウンセリングだとそれはかなわなかったですね。自分と向き合えなかった。
デパケンは使ったことありませんが、三環形は試してやめたことがあります。
私の求めているものとは違いました。
私の思考停止を求めているんじゃないんですよ!
お医者学者先生様たちにあれだけ下手な話をふりしぼってして、もらえた支援がこれですか!思考が途切れて白紙になる頻度が飛躍的にあがっただけじゃないの!
薬が要らないわけではないんですが、極度に眠れないときや不穏なときに使う安定剤以外に、まだ出会えていないんだと自分で思っています。
障害的に重い自閉の子に使われるテイ―チングを私に合わせたものや、思考のまとまりがつかなかったり結論が出ないときにするコーチングにつうずる支援もあればきっと違うと思っています。
カウンセリングが合わなかっただけ。
困っているからには、困難が解決するための合った支援が無ければならないと思っています。
治りたい意志の存在に間違いはありません。
治る治療の無い現実が悪いんです。
一人で気を付けても、苦しくて無理だったら、違う支援タイプを求めたらよいのかもしれません。あるのかは分かりませんが。
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