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ここあさんこんにちは。
>しかしいわゆる「世間話」「たわいもない話」というのが全くできません。息子にとっては「必要のない話題をする」「おしゃべりをする」ということに意味を見いだせないようです。
本件のトピックスに限っていえばコミュニケーション能力と平たく纏めて差し支えないと思いますが、そもそも「〜力」っていわれているものってとても曖昧なもので、ある状況下では力を発揮するのに、別の状況下だとまったく力を発揮出来なくなるってことよくあるものです。例えば私のコミュニケーション力の場合だと、文字のやり取りでのコミュニケーションは出来るけど、口頭だと言葉につまってお話しにくくなる、議論の場なら弁は立つけどたわいないもない話しの場は苦手(状況定義が曖昧な場だと話しの流れを掴めない)、同世代よりも外国人や年配者、子供の方が話しが噛み合いやすい、といったような具合に、コミュニケーション力の得意不得意を一意的な基準で評価するのは不可能です。一意的な評価とは文字通りある一つの環境下や状況下で発揮された「〜力」を絶対視して、この世には様々な状況や環境が多様にあり得るという事実を無視することです。生身の人間は多様な環境や評価の尺度を必要とするのであって、一意的な評価や一意的な環境の上には生きていけません。
「たわいない話の場」でのコミュニケーション力だけを取り上げて他を省みない社会的風潮そのものがASの生きづらさを生み出している元凶ですし、ASの人のコミュニケーション力の成長を阻害している要因ともなっていると思います。
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