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▼リリィーさん:
返信ありがとうございます、ユーンです。
>ユーンさんからの「友人について」のご質問にお答えしますと
>中学の同級生だった友人と、4年ほど前に同窓会で再会して、その後に数人でお茶を飲んでいたとき、その友人が「アスペルガーって知ってる?」と聞いたのです。
>知っていたのは私だけでほかの友人は「アメリカのロック歌手?」とか言い出して、とにかく世間の認知度は今よりずっと低かったです。
>その日をきっかけに、ASの友人とよく会うようになったのですが・・・ASの知識を持たずにたまに会う表面的なおしゃべりだけのつきあいなら、いわゆる定型と溶け込み彼女の感覚は「個性」として感じられると思います。
>が、ひとつのことに集中すると、人の表情や感情が極端に判断つかなくなる、人の言葉を無視してしまう。とか「言ってない、聞いてない、勘違い」が妙に多いとか・・・身近に接したりひとつのことを共有、協力したりすると「ここらへんはASなのかなぁ」と改めて感じる点はいくつかあります。
>でも、40を過ぎて夫に連れて行かれた病院での診断を受け入れるには、幼少期は親に可愛がられ、学生時代いじめも受けず、社会に出てアレコレ違和感や疑問はありつつ結婚もした訳ですから、診断に納得も受容のきっかけも持てないまま、葛藤がある様子です。
過集中、勘違い、思い込み、読む限りではご友人に私は似ている気がしました。
診断に納得も受容も持てないのは、自分の意思でなく、夫に連れて行かれたからではないでしょうか。
ASの受容による葛藤というよりも、夫に対する不信の方が大きいのではと、勝手に思いました。私だったら夫と話をして、診断をさせた夫の意図を聞き出します。
夫はどんな心のサポートをしてるんでしょうね。
成人の場合、心身喪失で自己判断ができない場合や周囲に危害を加えない限り、
診断を受けることやどんな治療を受けるかの選択は個人の権利です。
友人の方はその権利を夫に侵略されたから、葛藤されてるんじゃないかと・・・。
どちらにしても、自分の意志で診断を受けてASを受容する人たちとは違う受け止め方をするのは、当然のような気がします。
それをもって新しいタイプを作るのは早計のような気がします。
>ユーンさんのコメントは、特に「宗教について」など、共感を持って読める内容が多いので、定型というより、考え方への個人的な好みかも知れませんね。
ありがとうございます。嬉しいです。
>今後も不備なコメントをすることがあるかも知れませんが、どうぞよろしくお願いします。
こちらこそよろしくお願いします。
友人の方について、根掘り葉掘りしちゃってすみません。
もうこれ以上は情報を聞き出すことはしません。
ご友人の気持ちが安らぎますよう、心から願っています。
リリィーさんは優しい方ですね。
ご友人もリリィーさんが友達でいてくれることで、きっと心強いとかんじていらっしゃるでしょう。
有難うございました。
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