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>社会人ならば休職レベルの欝だと言われました。
“休み”のニーズはあるんですね。
>ただ、友だちとは旅行に行かれました。
機械的な言い方ですみませんが[ボス]が、ずーっと安定して決まっていることで、紙芝居のような、くるくる変わる重圧は受けないで居られるのかもしれません。
友だちは、自分に成長とか、鍛練とか、自己抑制とか、求めないものなんですよね…。
一般的な男性って、うるさく言わない。指示だけ。結論だけ。時には自分の都合だけ。依存とか面倒なことをしてきたら、黙って離れるとか、関心のある放置をするとかが言われています。
(私のされたいケアとは真逆!だから一人者オバサン化しています)
(父子家庭とかで、こういう言葉を介しないコミュニケーションばっかりに慣れると、成人してから対等な女性とのコミュニケーションが分からなくて大失敗する事例はあるらしいです。でも基礎的な社会性と人間性ができていれば、職場で大特訓を受けて覚えていけます。)
(ちなみに指示、結論、離れる、の三つの他に、ほめないとダメなのはダウン症の子の特徴らしいのです。ダウン症じゃない男子で、ほめなくても事足りるというパーソナリティーがある子もいるのかもしれませんが、女親にとっては、愛しい息子をほめないなんて選択肢は、きっとあり得ないし、辛いものなんでしょうね)
ネットによっては、[ボス]を[愛着対象]という言い方をして書く人もいます。
ただこの[愛着対象]が果たす役割もほんとーにいっぱいで、複雑(私の文章能力を超えるくらいには複雑。)なので、私が自分の頭で考える時には、ペットと飼い主(乱暴な思考でごめんなさいね。)くらいの関係から、それこそ親子くらいの関係の幅で、深さや、責任の重さを考えたりします。
話を戻します。
ASにものを教える時は、自分の実感が難しいので、まわりが動く、という手法がありますよね。
それは、世話をするのとは違うと思うんです。
うまく言えませんが。
前に、当事者の、療育を受けた経験者の先輩を探しては、と提案させていただきましたよね。
それは疲労困憊さんが[愛着対象]の役割の中でも、暴力や振り回し、束縛を受ける役割を引き受けさせられてしまっていて、息子さんの中でも母親がそういう役割に設定されてしまう危険があったので、[愛着]の矛先を変えて、[ボス]を作ってはどうかということを考えたんです。
母親は、家の中がお屋敷のように広くない限り、意志が無くても子どもと密着した関係を設定されてしまいます。
でも疲労困憊さんには、密着されて依存される意志は無いんです。
だから、息子さんの[愛着]のエネルギーだけ変えて、暴力も、束縛も、通用しない相手に向けさせる、お手本出来る、振り回したくなった時の行動修正する模範ができる、憧れを持てる、また会いたいと言う励みができる、療法士さんから認知行動療法など受けてみようという新しい気持が育つ、自分の気分障害を客観視して垂れ流すものではないことを悟る、約束や妥協ができる、生活に節度ができて、母親の言うことを聞き、疲労困憊さんは本来の母親の役割で母親仕事ができる、という仮説を立ててみたんですよ。
その手法でいいのかは、医療者じゃないのでいまだわかりませんが、[愛着]する設定の人として、疲労困憊さんを、一時的にでも離す方法は、取った方がいいと思います。
息子さんに「休みなさい」というのでは、伝達方法として伝わらない気がします。
Cyperus-Aさんの視点は、ありだと思います。
>お母様のほうも休養できる時期を作ったほうが良いです。
息子さんを入院させる、が現実的だとは思いますが、入院の権限で一番強いのは母親なので、疲労困憊さんが入院を勧めても息子さんは動かない気がします。
目的は
>このまま…学校に復学させると、“どうしたらよいかわからない(@_@)”という混迷の…不安
という、息子さん主体の引き離しなのは変わりません。周囲の人全員に共通理解を取ってまわるのが良いと思います。
その上で、ASをよく分かった病院に、疲労困憊さんが「うつ」「栄養失調」「衰弱」なんかの適当な理由を付けて、入院させてもらうんです。ゴルフクラブで暴れるなら、付ける理由になると思うんですけどね。(ゴルフクラブやバットは物置の暗くて汚い所にしまいましょう。私は頭に血が昇っている時に、汚い物は持ちたくなくなりますね。)
(昭和時代の古本の、精神関係の本に、家庭内暴力のおさめ方として、家族がある日、全員忽然と、何週間も消えて見せるというのがありました。何週間もたってから、母親が食べ物だけ置きに来て、口を効かないで帰ると、「ありがとうございます」と言えるようになって、そこから更生して行った話がありました。それがヒントでした。今ならやり方は変えないといけないでしょうね)
母親が居ない日に、様子を身に来てもらう人は設定します。見に来て帰るだけ。
退院日は設定しません。息子さんに知らせないのがいいと思います。
でもまとまった長さの日数がいいと思います。
家はきれいに片付いているかは分かりません。足の踏み場が無いゴミだらけの床になっているかも分かりません。だれも手伝わなくていいと思います。
息子さんが見舞いに来たら、チャンスです。看護師にも医師にも「退院日は分かりません」と言ってもらいます。息子さんが、先が見えなくて困る経験をすること。これでいいと思います。
自分が「どうしよう、どうしよう」だけでなく、「お母さんがボクのためにダメになっちゃったらどうしよう」この不安に火を点けておく。
母親を慕う心があれば、点くと思います。
「お母さんは無限に不満を垂れ流していい存在じゃないんだ」これを実感させて、自分の成長の逃げ道では無いことを、並行して知らせていくことが必要ではないかと思いました。
「小学生の時みたいに、全てボクの先回りをして、全てボクに答えを用意していた、全て決めてくれるお母さんではもう無いんだ。暴れたらまた入院しちゃうかもしれない」と分かれば、息子さんに力があれば自立が始まります。まだそこまで至っていなければ、次の依存を向ける[ボス]を探しだすかもしれません。
賭けって、嫌ですね。
それで解決はしません。
高校という環境が本当に必要なのか、高校を出たら何をしたいのか、それは今から始められることではないのか、ここのみなさんが書いているようなことを、そこから本人に考えさせ始めるんだと思います。
療育ができる第三者は、入ってもらえる限り(家庭の中からでも)入ってもらうのが良いと思います。
息子さんは、家族以外の人の前なら自分を抑制できるからです。
抑制はおおいに結構なんですよ。そこで息子さんが誘導されちゃダメなんです。その場で純情に、高い目標や高い理想を作ってしまったら、後で反動に引き戻されるから、ダメなんです。
自分のダメ部分、母親とだけで話すと切れてしまう話題を話させ、母親と話すと切れてしまうから、限界なんだというところまで認めさせないと。
そして、母親と進路の話を話すことを、禁止くらいまでしてもいいかもしれません。その代わり、話したくなったときにいっぱい話せる人間は用意しないといけませんが。
ここまで手を掛けないと、自制しながら自分の適性と自分で向き合う、という作業は始められないと思われます。
高校を続けるのか、学習場所を変えるのか、目的があって今の高校にこだわるなら、たとえば今のクラスメイトが全員卒業するまで(格好悪いものね。)留年してから復学するのか、それまで何するのか。
予備校や塾で勉強か、バイトか、カウンセリングか、その他のことか。
自分探しをやってるうちに、大学に行きたいなどで計画変更したくなりそうか。そうしたら両親に世話になりたいか。もううんざりしたから、自分で稼いで自分で進学したいか。
そういうもろもろのことが見えてきてからやっと、一日一日にこなすことが見えてきて、疲労困憊さんがほめても切れられないこと、励まして、協力できることが、決まってくると思われます。
あいかわらず、こんなになってしまって、ごめんなさい。自分でも、長くて分かりづらいと思います。
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