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▼ガテンさん:
>少し苦言を呈させてください。
>
>僕は男性側の意見が欲しかったのです。
>確かに中にはお水の方と結婚されたという例もテレビで
>紹介されている程度で実際にいたのは驚きました。
>僕は男性側の意見がないことに関して少し苦言を呈します。
僕は…41歳で男性です。
問題の言葉ですけど…確かに、“そのとおり”という面は、僕にもあります。
障害基礎年金が生活資金となって以降、ネットの契約を家では更新しなかったため、今のスレは地域生活支援センターの端末から書いていますので、メールを扱えないので、それによって繋がっていたASのとある自助会とは、それっきり無縁となっています。
携帯・スマホも不所持ですから、何か頻繁に“ホウレンソウ”が必要な付き合いは、不可です。
身体も心も…不安定性が強く、妻子を養っていけるようなマネーは稼げず、同居している母がいなくなった後は、何かのきっかけで“孤立死”という怪物の餌食になることは、ほぼ確実でしょう。
しかし…それでも、“微力ながら…世の中を良い方へ動かしたい!”“なにか…
笑顔になるようなことを隣人に一日一個捧げたい!”“知らないことを…貪欲に学び取りたい!”というようなことは、本当にボロボロになってしまうまで、絶対に
棄却しちゃダメなような気がしてます。
2011年の大津波・去年:今年の竜巻では、高い家を買って住宅ローン返済半ばで、それが大破してしまって、かなりの人が途方にくれています。
でなくても…まだ世界経済の波は激しく、今日は羽振りよくフルコースをレストランでがっついていた人が、5年後は全くの一文無しに落ちぶれて、公園の水を頼りに生きることを強いられてしまうということが、本当に先進国という国でさえ、常態化しています。
“命どぅ宝(ぬちどぅたから)”“人間は考える葦である”“人は石垣・
人は城”
いずれも…“人間各々が本当の主人公であって、その能力や感性・知恵を作用させることによって、世の中は良い方向へ回る:転がる”ということを表しているような気がします。
そう…お金はある意味、そのための触媒じゃないかなという気がします。
それに気づく人がだんだん増えてはきているので、バブル期の頃よりは、心の
豊かさに趣をおく文化がだんだん醸成されてきていると思えます。
むしろ…之から先は
“芸は人を助ける”“いつでも一年生”“一期一会”
ということわざを信奉する人が、交友関係の面では成功を掴んでいくと、僕はふんでいます。
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