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▼百合奈さん:
こうして新たなレスを付けさせてもらったからと言って、今までのレスで書かせてもらったことはもう全部納得済みで、忘れてもいいし、無かったことにしてもいいよというわけでも、返信が無くても構わないよと言うわけではありません。
今までのネットコミュニケーションで、時々そういう人にお会いしてきてしまったので、念のため。
今の百合奈さんの状況は、身近な人では対処能力も処理や整理の能力もを、どなたも持っていらっしゃらないのではと思うから、法のプロに依頼してはと言う意見も今のところ変わりませんし、「死ぬ」は脅迫であり、周囲の人を思考停止させて逃げ出させるだけにしかならないという思いも、現実的に今後周囲に要求していくことを具体的に用意して、武装しないと事態が進まないのではと思う意見も変わりません。
一連の百合奈さんのお話しを読ませてもらうに、百合奈さんが、現実世界でのコミュニケーションがどんなに“嫌い”か、という気持が読めてきた気がします。
○芸術系のファンタジー創作は、趣味であり、精神不安定の時に没頭すると静かにすることができる。
……⇒百合奈さんにとっては逃避の『効果』を持つ。
……⇒周囲の人たちは、『効果』に着目して、静かになるのが『社会適応』だと決定して、社会生活をそこに限定しようとしている。
○本命の別なお仕事は、学力が不足しているし、適性が無い、と評価されている。
でもしたい。
愛着や憧れがあり、まだ就職できていなくても、全ての苦痛が解決したような空想が頻繁に頭に浮かんでしまう状態。
○学校内での愛着や目標は“発表会”だけであり、そのためなら誰との信頼関係が成り立たなくても、信頼関係や師弟関係や仲間意識も、自分の人格までも存在すらしなくても構わない心境になっている。
○つまり周囲の人間は全員生き物では無く、たとえばマネキンくらいで構わないのであり、理想は自分の脅迫によってYさんを退学させて、みんな自分の思いどおりに縁起でもいいから接してくればいい。
家族も支援者も病院の人間たちも、はてはネットの私達も、百合奈さんが本命仕事をすることだけに賛成して、できない原因になるものは全部否定して排除してくれるくらいでいい。学業の内容なんて知らなくていい。
○そういう自己分析を客観的に、具体的にするのが苦手。「Yさんひどい。戦うしかない。」も書きたいし「留年は考えていない。」も書きたいし、「死ぬ。」も書きたい。矛盾しているけど、矛盾に向き合いたくない。だだはこねるけど、分析もされたくない。失礼を指摘されたくもない。何かを直されたいわけでもなく、何かを分かって欲しいわけでもなく、向き合って欲しいのでもなく、受容だけをされても嬉しくも何も感じない。
……でしたら、百合奈さんは全然現実社会に生きていないじゃないですか!
私達当事者の、ネットの助言は、現実世界の生き方を共感して、応援して、助言するくらいがね、関の山なんですよ!
現実の動きを一緒に考えてあげるのが、手一杯なんですよ!?
受容だけが欲しいとしても、そう書いて、正解の受容をしてもらえたら、喜びと感謝の言葉くらいくれないとなかなか分からないくらい、察しが悪くて鈍くて『AS』なんですよ!?
そうか、私たちは無機物かー……。
○百合奈さんにとっては、静かになることは本当の意味での『社会適応』では無い。
『社会適応』は、当人が能力を生かして社会のニーズに応えているかだけでなく、当人がその生活に理解と納得をして、私生活の時間も次の仕事や集団参加のための準備を健康的にして、急に関係性を破壊したり、忽然と居なくなったりしないで安定していられる状態であることも考慮されるはずのもの。
百合奈さんは、思考が多肢にわたって広く、特性として、ある定まった状況の中で安定していられるところまで理解して慣れるまでに、他人よりも、もしかすると他の発達障害当事者よりも、長期の期間を必要とするとして…。
それまで本人も我慢できないし、騒いでしまう。周囲も、激励したり、聞き取りしたり、なだめたり、休ませたりする支援を引き受けられなくて、騒いだ百合奈さんを静める手段として、本来は逃避だったはずのファンタジー創作をずっとさせようとしている。
つまり、周囲にとっても、百合奈さんに正当なプロセスを踏ませることから逃げる『逃避』なんじゃないでしょうか。
百合奈さんの残念だった在り方は、親からの自立の段になって、食べる手段が必要な年齢になった時にも、百合奈さんがファンタジー創作の他にも、ご自分の能力を開発したり、アピールしたりができなかったこと、うまくいかなかったこと、じゃないでしょうか?
でもご自分でお分かりかもしれませんね…。
ご趣味が賞金をもらえるレベルなことも、伏せるのが可能な場所には伏せれば良かったんですよ。たとえ家族にでも。
書いてもしょうがないことなんですが、その学校の子たちみなさんに言いたいですね。
自分の腕で『食って』から偉そうなこと言えと。
百合奈さんは特技の内容が具体的に知られるのは嫌だったかもしれませんが、私的には、具体的に百合奈さんの状況を理解することに近づけるので、助けになりましたよ。
助言者の思考の都合にも、想像力を働かせる気持が欲しいな。
稼いで『食べる』ってことは、妥協の連続、苦痛の連続。
お金をもらう代わりに、書きたいネタを我慢して変更するし、思い入れも、指示してくる人のニーズに合っていなければ、削って別の物を作りあげる。
素敵な思い入れが無かったことになる。
出版社か何か知らないけど、指示してくる人が、ムナクソ悪い、合わない人でも、うまくコミュニケーション取って、言われていることを理解する。
分からないこと言ってくる人相手にも、頭を下げて、分からないことを謝って、自分を責めて、答えを探して、探すのに時間が掛かったことをまた謝る。
納得できないことでも、納得できないことを謝る。
社会はこういうことのほうの連続なのに、小さなチャライ世界でなにゲームばっかりやってるんだと、少々情けなくなりますね。
創作の世界なんて、千者万別の読者の裏を行く、先を行く作業だから、ねらいはねらってもねらっても外して当たり前、発達障害でなくてもはずして当たり前なのに、どんだけ浮ついているんだと、余談ですが、思わされます。
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