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▼こういちさん:
>http://bylines.news.yahoo.co.jp/nishidamasaki/20130617-00025715/
>
>アスペルガーを差別してると感じたのは私だけでしょうか。
>
>精神科医の先生だけに、余計にショックでした。
差別かどうか以前に、“職場うつ”がそういった表現を使わざるをえない
ほどに、未だに“厳しい状況”にあることが、僕の場合、より気になります。
1990年代…ある週刊誌が“黒一色の表紙”に“うつ病大国ニッポン”と
白い大活字で書いたのを見たのが、僕自身もショックで、今一般就労の側に
身を置いていない一因になっています。
その頃から…この状況に関して、“一体どうしたら緩和の方向へ動くの?”
ということが、ずっと気になっています。
ある意味、“病的に見えてしまう=活性が弱体化するような無理を重ねている”
ということがいえるのだと思います。
例えばの話、2ヶ月前台風で被災したフィリピンの人たちは、がれきのの中から
廃材を集めて、とにかく雨露をしのぐための小屋をスックと建ててしまいました…
けれども、家を大きく複雑で高価に造ってしまった日本では、東日本大震災から
まもなく3年になろうとしているのに、土地の取得も含めていろいろな事情も重なって、借りぐらしを強いられてしまってます。
フィリピンの人が最重要視したのは…“人間という命が寄せ合う場所”でした
が、日本人の場合それに加えて“四苦八苦して手に入れたステータス”という
という意味合いが強いぶん、失った人の傷も深いし、TVで傍観している側も
“トラウマ感”もそうだし、“本当にこのままで大丈夫?”という疑心暗鬼
さも抱いているという気がします。
物理学の法則の中にこんなのがあります。
“あらゆるこの世の中の物は、秩序だてようとすると、力やエネルギーを消費し
それが解けると、静穏あるいは乱雑なもとの状況へ戻ろうとする”
人間だって細胞という生命体が、宇宙の137億年の歴史の中でほんの一瞬だけ
集まれたからできたわけであって、その集まり方でいろいろな個性を持ってます。
そして…もちろん個々人が、いろいろな得意分野にしろ・大の苦手をを持っていることは確かで、そっちの方がより自然なはずです。
けど…悲しいかな、なぜか“同じ=HAPPY”と過度に信奉しすぎてしまって、
“その基準大丈夫?”“もっと有効的なことないの?”という疑問に耳を
傾ける・目でよくチェックする・策を凝らすということが、やりにくくなった
国が地球上にやく一か国あります。
僕は貧乏で、そこ以外の国をみずに、やがて果てるのがこのイグジスタンス
の宿命です。
生きていけるうちに…うつ病大国の汚名がすすがれて…
“人生楽しい”という方が増えるほうへ向かうための、手助けを
あと少しやりたいなという今日この頃です。
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