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誤解が誤解を生んでますね。
正直言うと、ここから去れってことなんでしょうかね。
まくいるそちとるさんにも誤解されてしまいました。
説明力不足なんですかね。
皆さんと分かり合えたと思ったらお別れですか……さびしいですね。
いちご大福さんは「集団リンチ」の一言に固執されていますよね。
それはPTSDに関してなのでしょうか。
でも、ご覧の通り、私は一匹狼ですし、理解者はほとんどいません。
どうして、つるんで、誰かを苦しめる必要があるのかな?
そして、私が仲間同士でそういうことをやる人だとどこでそう思ったんだろう。
私が冷たい人に見えたんでしょうか? みんなに愛される人だと思ったんですかね?
ごめんなさい、それは「隣の芝生は青い」というんですよ。
そして、別にマンダラ花さんを「集団で苛める気が全くなかった」のに
「集団リンチになろうとしている」
……なっているのは私でした(笑)。
集団リンチどころか、自分が独りになりました。
まぁ、1人には慣れているので、気にしていませんが、
それでも、誤解の中で、1人になるのはさびしいですね……。
私は何度も書くように
相手が怒ってるな、それを見せられるだけで萎縮します。
ナイーブというより「超神経質」です。
集団でイジメに遭う。
そんなの慣れっこです、
私が一番怖かったのは「母」です。
母が一番怖かった。
校長先生の娘で、しかも、音楽家である母も同じく、神経質。
しかも、嫁と姑の問題でかなり揉め、
母親に怒られないように怒られないように小さい頃を過ごしてきました。
母も私たちを守るためには一所懸命でした。
でも、そのために、母は擦り切れるまで、自分の心を痛めてきた。
それでも、ストレスはたまってるようで、それがまれに私たちに来る。
「私を殺す気なの!?」何度となく脅されました。
母は今年で還暦です。
そして、母の言う冗談も、未だにわかりません。
怒る=自分を否定される=自分なんていらない
私はずっと自分を取り繕ってきて、ようやく、母と和解ができたのは高校生ぐらいでした。当然、それまで、怒る母が怖くて仕方なくて、変にピエロになってみたりもしましたよ。
母もおかしかった……。
とりあえず、母親が倒れず頑張ること、自分が母親に常に認められていること。
それをずっと求められている気がして、幼少のころを過ごしてきました。
おかしいですよね、嫌いなのに守ろうとするなんて……。
怒られないようにという意味合いもあったけれど、母を少しでも元気にさせたいと心ながらに思っていたんですね。不思議ですね。
だから、苛めなんてへっちゃらでした。
だから今でも「間違いがある」のかな。
取り繕ってきた結果が、自分のミスでもあり、自分の欠点でもあるのかなと思います。
どうしても、その「ケアレスミス」だけはどうしても治らなかったんですね、今も治ってない。
とりあえず、怒られないようにしないと、立派な娘でいないと、
苛められたのが3年生、よく「○○さんと組みをつくって〜」といわれても、
1人になる始末。
その孤独さえ誰も打ち明けることができませんでした。
というか、1人で生きていける術を身に着けてしまった。
今の『彼』に出会うまで、孤独でしたよ。
冷たい人、かわいそうな人、いいこぶり、なんて思われていたんでしょうね。
だから、私は何を言われようがへっちゃらです。
でも、場の雰囲気が「怒」になると、私はすごく臆病になってしまうんです。
現実でも「怒」には敏感だし、
キーキー声出す子がいたものなら、恐怖です。
最近は、機械の耳栓を持参して仕事してますよ。
だから、相手との妥協点を探して、和解しようとするのですが、
それすらいちご大福さんには「マイルールだ」と言われました。
ここの先頭のスレッドを書いた理由も最初に感じたのが「怒」だったから。
マンダラ花さんも、いちご大福さんも「怒」。
反射的に
「怒」=「自分を否定される」=「自分なんていらない」
と頭が勝手に動き出してしまいます。
でも、それだったらいつまでたっても「子ども」です。
だから、少しでも、コミュニケーションをとって、少しでも頑張れるように努力してきたのですけどね……。
やっぱり、取り繕ってきた結果なんでしょうかね?
お分かりの通り、私はあまり「本音」や「具体的に」が苦手です。
そこの点で皆様に誤解されるのかもしれませんね。
別に思いたい人は、どう思おうがかまわないんです。
ただ、世の中にはそういう人もいるって、ことを忘れないでほしい。
これでも、私は「AS」と判断されなかったんですよ。
仙台アーチルというところでも「普通に見えます」と言われました。
職業センターでも、精神科の先生のところでも「普通」って言われました。
今でも社会不適応で、会社では7年目で6回の異動。
嫌になって、何度「死にたい」と口にしたことか。
突っ込んで死にたいがために峠越えして、
仙台から新潟までいって、
ラーメン1杯食べたら泣いちゃいました。
峠越えしたときの自然の美しさがなかったら、私どうなっていたんだろう?
多分いないんじゃないかな?
今日は姪っ子と兄夫婦が来て、祖父と叔父のお墓参りにいっています。
書いてて涙が止まりませんでした。
祖父が泣かせてくれたんでしょうかね?
泣くことがすごく少ないので……。
何を言いたいのやらわかりませんが、こういう風に書くことが一番相手を理解するのに手っ取り早いんでしょうか?
泣くぐらい書かないと理解してもらえないんでしょうか?
泣いても理解してもらえないのかな?
すごくさびしいです。
とても、寂しいです……。
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