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初めまして。(全文引用は御容赦を)
▼アスペル・ガ−太郎さん:
>昨日、某所で開かれた自助会に参加した。同じ病気の人となら、それまでのつらい体験を共感できるだろうと思っていた。
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>しかし現実は違った。たぶんその人は悪気は無いとは思うけど、その場に居合わせた私(私だけ唯一学歴が低い)に対し、私の「学歴・社会的身分」を明らかに差別していた。
>
>その後はその人の自慢、自慢、自慢。その挙句、無駄な議論につぐ議論。病気と関係のないような話を。
>
>健常者と同じ、同情、共感、配慮という気持ちは、どの人にもなかった。無論、私にも。期待するほうが間違ってたとしかいいようがない。
それはまた困ったミーティングですね。心中お察しします。
コメントの内容からの憶測で申し訳ありませんが、あまり前向きさが感じられる内容には思えませんね。
Webサイト上であっても、同じように雰囲気に前向きさが感じられないところも時折見受けられます。
でもここは時折意見のすれ違いはあっても、みんなが各自の環境内で精一杯前向きに頑張っているところです。学歴・職歴の差別はありません。
私が以前に出たミーティングは、そういった雰囲気がなく、非常に和気藹々としていましたが、このWebサイトと同様、同席していた人はそれぞれが与えられた環境で精一杯努力している、という雰囲気が感じられました。
>本音で話し合うものだから、お互いに失言、さらに失言。いやみにつぐ、いやみ。
>暴力的な人だったら、あれはすぐにブチ切れるんじゃないかという失言さえあった。
>
>でも「本人も私も、なんで相手が怒っているのかわからない」。「怒こっていることすらしらない」。
本音で話し合うことは、決して悪いことではありませんが、それについて雰囲気が変わる様子が感じられない、というのは、やはり私の憶測で申し訳ないのですが、同席者がみんな意思の疎通の問題に対して、あきらめの気持ちを持っているのではないのかな、と感じます。
もしたとえ前向きであったにしても、その意見に対してに対して他のメンバーが反論することに恐れをなして忠告できないでいる、ということも十分考えられます。
ひょっとすると同席者の全員が、自分から忠告すると他の同席者に嫌われるのではないのか、という恐れと同時に、他人から忠告を受けることで、忠告と嫌味との見極めができないためにその人に嫌われているように感じるというのもあるのかと考えられます。
あるいは、同席者の全員が一様に対人恐怖を抱えているようにも思えますが… 顔なじみなのでその自助会ミーティングでは一見平気でも、あるいは心の奥底ではそのミーティングそのものの雰囲気をも恐れているのかもしれないですね。
>私は、健常者と話すのは困難である。しかし同じ病気をもつ人との場合だと、もっと会話の困難さが増すことがわかった。
>
>あの自助会には、二度と参加する気はない。
私個人の意見としても、推奨することはできません。
>しかし、主催者も大変な苦労をして自助会を立ち上げたのだから、私が文句を言える権利はないと思う。
私としては、「がっかりした」の一言でもいいからメールぐらいはあってもいいんじゃないかな?
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