|
▼ファルコンさん:
はじめまして
nobody knowsと申します。
>昔から、一対一の深い友達には、全てを曝け出して付き合い
>その結果重すぎて、喧嘩別れをすることがありました
おそらく、ファルコンさんのおっしゃることは、人との「距離感」のことなのかなと思いました。
人と適度な距離感を保てないので、この人は「気を許せる!」と思った瞬間、
どばーっと、自分の思いをさらけだして、結局、人から疎まれて、「落ち込む」。
一方で、相手が「親しみ」を向けているのか、それとも上手に「嫌っている」のか分からなくて、「どぎまぎする」。
人数が多くなると、自分がどのくらい「主張」し、どのくらい「引け」ばいいのかその駆け引きが分からないので、そんな場を「避ける」。
これ、「心理的距離」上のことみたいです。
極端なことなら分かるんですよ。
あいつと俺はどっちが「上」とか、
こっちは「こんな立場で言えばいい」とか、だったら。
でも、対等で、相互に役割がめまぐるしく変わるcommunicationだと、大変みたいです。
そこで、ASの人は目に見える物理的な距離に頼るため、
1.人をいつまでも見つめる
2.会話の際に、他の人より人に近づく
ことがよくあるそうです。本によると。
「距離感」とか「微妙なニュアンス」が伝わりにくいためなのかと思っています。
私もこの「距離感」に悩んでいる一人です。
例えば、同僚と、しかも今までとは違って、とことん飲んでたくさん話した翌日。
私はどんな顔していいのか分からないです。
気軽に「昨日はどうもお」ですませればいいのに、飲む前の自分の状態とわずか一日で、変えるだけの「関係」なのかどうかきっとすごく悩んでいるのだと思います。あるいは、関係性がいとも簡単に変わることの抵抗なのかも。
小さい頃、定型であろう同級生が、先生に怒られたり、友人とケンカしたりした後に、
「なんで、あんな短時間で忘れたり、仲直りしたり、笑ったりできるのか」
がものすごく疑問でした。
とにかく、「微妙」ということばが今はやりだそうですが、この「微妙」がとっても難しい人たちもいるようです。
|
|