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wentさん、はじめまして。
レスをありがとうございます。
> 一方私は、服装についての感覚がわからないまま年齢を重ねてしまいました。「このスカートのファスナーはどこにくるのだろうか。ブラウスは中に入れるのだろうか、それとも外に出すのだろうか。この服装に合う靴となれば、どんなものになるのか。さらに、気温というものも考えるとなれば、いったいどうすればいいのかわからない。」といった調子です。
私が最初にぶつかったのは、色のコーディネートです。
姉にばかにされてから、服を買う際にお店のお姉さんにアドバイスを求めるようになりました。
> 「社会性の遅れ(自分の姿が他者からどう受け止められるかわからない)」ということは、発達障害系の人にはありがちな事だと思います。ただ、そのことに拍車をかけている「二次的な問題」というものもあると、私は思います。
> 「人格否定をされ続けて落ち着かない状態でいる自分を、何とかしよう」ということで手一杯で、「他人の目から見られる自分について考えている余裕がない」という面も大きかったのではないかと、思うのです。
> 発達障害系の人が「ワケのわからない人格教育」のターゲットにされている間、定型発達の人は、それらを免れる・軽減されるということもあると思います。それらを免れる・軽減されることで却って、他人の目についても考える余裕ができるという面もある。私はこのように思っています。
レスにwentさんの葛藤がにじみ出ていました。
周りから自分を否定され、自己肯定感が低くなっているときは、余裕がなくて投げやりになりがちです。
また、家族からどうしようもない娘のように思われてしまうと、本来おしゃれに多大な影響を与えるはずの母親に「お前なんかがおしゃれしても仕方ない」などといわれる場合もあり、自分を磨こうという意識も生まれなかったりします。
でも、このツリーを立ててから不幸自慢に陥っていた私が強くいえる立場ではないのですが、身だしなみの問題と定型発達の方の無理解とは、別に考えられた方がいいのではないかと思います。
過去にこだわることは現在の問題を置き去りにしてしまうことにつながるので。
「気分がのらなかったけど、お気に入りの服を着て外に出かけたら何となく気分が晴れてきた」という行動療法的な考えの方が、プラスを生むような気がします。
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以下が追加です。
きつい物言いをしてしまってすみません。
確かに二次的な問題もあると思います。
ただ、wentさんの書き込みにwentさんが受けた痛みがあふれていて、現在の問題をどうするかという前向きな部分が少し欠けているように感じました。
そのため、「過去に原因探しをすることは、かえって悩みのループに入ることになるのではないか」と感じ、あのようなレスをさしあげました。
決してwentさんのご意見を否定しているのではないことをご了承ください。
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