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▼とみーさん:
はじめまして。
nobody knowsと申します。
とみーさんのスレを読みまして、自分のことを思い出しました。
中学から高校、特に高校の頃、「自意識過剰」に陥りました。
「見られている」という意識から逃げられなくなりました。
私の場合は、特に食べているとき。
口を開けている自分が見られているかもしれないと思うと、とても嫌で、嫌で。(きっと無防備とか、かっこわるいとか感じていたのかとも思います)
弁当でしたので、ベランダで他の友人と食べることにより、少し楽でしたが、
結局、最後までひとりで、一年間、東北の真冬にベランダに出続けました。
また、普段の言動が、いつでも人が監視しているかのように自然なふるまいがしづらくなりました。やけに気取った様子をしたり、ぎくしゃくしてしまったりなど。
※なにか、自分の一挙一動が評価されている…と思っていたようです。
30代にとったロールシャッハでも
「見られている自分に関心があり…」
とのコメントでした。
今から思えば、
私の場合は、自分の自分自身への一挙一動の過剰な自意識がなせるわざのようです。
周囲に適応しようと、
あるいは自我というものの確立に至るために、
周囲を意識しすぎたあまり、その自意識が「視線」という具体的な対象に投影されたのかと考えています。
ちなみに、今でも、残っています。(^_^;)
さて、
とみーさんのおっしゃるように、
・心理的に対人恐怖
・発達的に社会性の課題(周囲に適応しようという発達障害にありがちな不器用さ)
と、どちらでもとれそうですよね。
自分なりの解釈をしてみても、自意識が弱まらない。
あるいは、そのことが普段の生活を圧迫している。
の程度で、専門家の力を借りるかどうかを判断されればいいと思います。
というのは、強迫的かどうかのひとつの指標は、
・自分でもばかげていると思っているのに、止まらない。
・私生活がそれによって障害されている。
だからです。
自分で止まらない場合は、専門家(私は、とりあえず、お近くの心理臨床家でもいいと思いますが)に行かれたらどうでしょうか。
行動療法とか、認知療法とかありますけど、このような強迫性は、自分なりの対処はなかなか難しいと思っています。
ちなみに、私の場合は少しずつ、年齢を重ねるごとに、楽にはなりましたが。
お答えになっているかどうか…。
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