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▼菜の花さん:
こんにちは。
いつも菜の花さんの投稿を読ませて頂いています。
息子さんへの忍耐強さに頭が下がります。
>うちもそんな感じです。私は時計さんの役目みたいです。
わたしも自分の子供と接していると
自分が人ではなく、ものであるような錯覚に陥ります。
>とくに食事は「食べてる?」と一回の食事で30回位言っていると思います。私が用事でいないでご飯だけ作って出かけたりしたら食べないまま置いてあります。だから末子の5ヶ月の赤ちゃんよりある意味で大変です。食べなければ切れやすくなるので私も食事に対して神経質になります。
わたしはもう子供の食事についてはあきらめました。
好きなときに好きに食べさせています。
というのはわたし自身も偏食が激しく、19才でひとり暮らしを始めるまで
ほんとうに特定のものしか食べなかったからです。
でも自分で食事を作るようになって生まれて初めて
生野菜を食べてみたら、体調が良くなっていくことに感動しました。
>息子専用の携帯でも買って自分でアラーム鳴らしてもらった方がいいかしら、と本気で考えています。何しろ忘れたりすると激怒するのです。
わたしもそのように考えて息子に目覚まし時計を買ったりしましたが、
(今は高一で携帯も持っています)
おかあさんより便利なツールはないようです。笑
バスより自転車より電車よりおかあさんの車のほうが便利だし……。
いる限りあてにされるので、たまにわたしが家からいなくなることにしました。
わたしは大人になってアスペルガー傾向とADHD傾向があると診断されました。
育てづらい子供だったようにも思いますし、
おとなしくて全く手がかからなかったという一面もあったように思います。
しかし、生活習慣については
親に何万回言われても、ほとんど何も身に付かなかったと思い返します。
“電気はこまめに消せ”とか
“こたつで寝るな”とか
“早寝早起き”
“人を待たせるな”
“前の日に準備をしろ”などなど……。笑
言われれば言われるほどその言葉がわたしの中で無価値になっていったようです。
(今思えば申し訳ない!)
わたしの価値観は
耳で聞いて教えられたことではなく
目で見て覚えて考えたことから作られているようです。
つまり本を読んで自分の考えを作ってきたように思います。
わたしは親の必死さ、願いを受け止めることができない子供でした。
わたしは子供の時に、“ナルニア国物語”というイギリスの
キリスト教色の強い物語を数え切れないほど読み返しました。
その本から“よくありたい”という自分の思いを育ててきたように思います。
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