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▼ユニコーンさん:
>▼さくら咲くさん:
>>我が家にはASと診断された小6の息子がおります。
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>>あまりにも授業を聞いていない我が子に不安を感じ、1年生のときから、家でお勉強を教え、公立中学が荒れているために、中学受験を考え、大手進学塾に4年生から通わせております。
>>塾では、学校よりも勉強をしているようです。
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>多分、お子さんは集中すればかなりおできになるんですね。ASの皆さまの中には学習関係、特に繰り返し学習や、暗記科目が得意な方が多いようですね。わが息子もそうでした。でも、息子が塾に何とか通えそうだな、と思ったのは中学に入ってからで、それまでは例え学習能力があっても、きっとそういう環境は本人のストレスになるだろうな、と思っていました。
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>中学に入ってからは、本人もお勉強しなければ、という多少の自覚もできたし、何より塾は本人の「居場所」があったので、それほど嫌がってはいませんでした。
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>さくら咲くさんのお子さんも(きっと学習能力はあるのでしょうが)まだ、心の面の準備ができていないのではないですか?でも、良い学校に入りたいという気持ちもよく分かります。
横道にそれる書き込みです。
「繰り返し学習や、暗記科目が得意」ということに加えて「具体的、実感的な理解を求める」面が、ASの人には結構あるのではないかと、私は思います。
「他の分野との関連・因果関係・用語の意味・具体例・別解・類例等」といったようなことが示された場合、そちらに関心が向いてしまうという面があるのではないかと思います。
小学校の試験は、「具体的、実感的な理解」よりも「評価されるための表現練習(バラバラの事項を、試験に出される形で表現する練習)」という性格が強いのではないかと思います。作文系の課題や実技教科は、その性格が更に強まっていると思われます。
また、小学校の試験は、「一回やったら、その範囲の試験はもうそれっきり」ということが多いです。そのため、「具体的、実感的な理解をしようとしないまま試験で高得点をとっても、何ヶ月か後にはすっかり忘れている。」ということもあり得ます。
私の子供時代を振り返ると、「小学生の頃は目立たなかったが、中学・高校で成績が急上昇したと思われる人」が何人かいます。「小学生時代は、試験の点数は高くなかったが、具体的、実感的な理解を求めた勉強をしていた」という人達だったのでは……と思います。
私の場合、「図鑑についている、付録(理論的な解説のページ)」や「参考書に出ているコラム的な内容」に気を取られる子供でした。私も、小学校時代よりも、中学・高校時代のほうが成績はよかったです。
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>>小さなときから、変わった変な子だったので、せめてお勉強で見返してと思う気持ち。
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>お母さんのその気持ち本当によく分かります。私もそんな風に思っていた時期がありました。ただ、見返してやる、とかじゃなく、それが子供の自信につながり、多少生きやすくなるのでは、と思ったのです。それがお勉強でなくても良かったのですが、いつも人から注意されてばかりの息子だったので、一つでもほめてもらえる物があれば嬉しいのではないかな、と。きっと同じ気持ちですよね。
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「スポーツはできない。芸術もダメ。天真爛漫な子供でもない。勉強以外には取り柄がない。」という方向と、「いろいろと可能性が考えられるうちのひとつとして、勉強がある」という方向とでは、まるっきり違うと思います。
前者の場合、子供にとってはプレッシャーになります(少なくとも私はそうでした)。
「勉強ができなくなったら、もう私には価値はない。」という思いを、私は子供時代にずっと抱えていました。高校卒業までは「他の家庭でも、そのように言われているのだろう」と思い込んでいたので、何とか我慢できました。
大学に入ってから、後者の方向で行っていた人複数と接して、混乱しました。
後者のほうが精神的に楽だと思います。また、実力の伸びも違ってくると思います。
「華々しい結果を出したから自信が付く」というものでもないと思います。
「自分がやりたいことを、落ち着いた状態でやっている時に、上達していく過程(それが、ほんの僅かな進歩であったにせよ)を楽しめた。そしてそれを、信用している人に認められた。」という場合に、自信につながるのではないかと私は思います。
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