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この掲示板のあきペルガーさんの書き込み[#4893]を改めて見て、横須賀市
のメンタルクリニックを推測して予約し、出かけてきました。
院長先生の診察で、患者の立場に立ってお話ししていただけたと思います。
「人間的」な対応にほっとしました。
わたしが持っていった、日本自閉症協会東京支部資料集の項目に沿って書
いた自分のエピソードに目を通していただき(A4で6〜7ページくらい)、
ほとんどそれで診断をしてもらったという感じです。他にはうつ度を測る
質問紙CES−Dをやり、うつもあるということでした。
(なお、前回の投稿で受診した千葉市の病院へはその後結局行きませんで
した)
診察に入ると、「アスペルガーであるとかないとか別として」との前置き
の後、「多くの人と違う性質を持っているということをカミングアウトして
理解してもらう」「最初から全部理解してもらうのは難しい場合もあるだろ
う」「中には理解したくない人もいる。それはしょうがない」というような
お話しがなされ、わたしの認知のパターンが一般的でないということが前提
となっているようで、最後に「アスペルガーという診断は出ますか?」
「(そう言って)いいでしょう」と確認して終わりました。
いやー、しかし、あきペルガーさんも言ってましたが[#5620]、わたしも40才
にして自閉症者の「肩書き」をようやく手に入れてしまいました。
でもわたしの場合はすごくよかったと思っています。
だってこれまでものすごく疑問符だらけでストレス溜めまくってきたことの
説明が人に対してできる手段を手にしたんですから!相手が理解するかどう
かは先生の言うとおりですが、イザというときには、テレビの水戸黄門の印籠
として使えると思うと気が楽です。
最もわたしの場合は「ねぇねぇ、見て見て、印籠もらっちゃった♪」とか
言って先に見せびらかしそうなんですが・・・(苦笑)。
ま、それくらい「人と違う」ということが、自分ではとても気に入っています。
・・・というか、それがわたしだ、としか言いようがないし、診断によって、
そう、あなたはあなただ、と認めてもらえて、純粋にうれしい気持ちです。
今までずっと、社会の基準に照らして「この自分ではダメだ」とどこかで否定
してきたからすんごく辛かった。
もう無理に自分を社会に合わせなくても済むようなライフスタイルを追求して
いこう、というふうに割り切れてきました。
自分を初めて真剣にASではと疑った先月半ばから約1ヶ月、その間いろいろ
心は揺れました。
しかし今日診断を受けて感じたのは、「障碍」というよりも「特徴」という
言葉の方がしっくりくるな、ということでした。(上記の先生も障碍という
言葉は使いませんでしたし)
「障碍」というのは、それがどんな種類のものであっても、「健常者」が勝手
にラベリングし、線引きをしたものにすぎないと思います。「障碍者」自身は
初めから自分をそう思うわけではなく、そうだと扱われることで「思わされ」、
「内面化させられる」わけですよね。そこには「愛」がある場合ばかりとは
限らないので、悲劇も多々起こります。
あとは、二次障害のうつの解消としてどこかでカウンセリングを受けようと
思っています。異常なまでにわたしを叱責し続け、わたしの言いたいことを
全く聞かなかった母との関係性から、自分の思いや感情を気づき、表現する
ことができないことと、小・中学校合わせて7年間いじめに遭ってきたこと
から、理不尽さや他人の持つ「悪感情」に対する怒りを溜め込んでいるのを
解消したいです。
この掲示板には本当にお世話になり、感謝しています。
わたしも何かみなさまのお役に立てるよう精進していきたいと思います。
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