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> 「嫌だったことを早く忘れなければいけない」「人を許さなければいけない」などと言いたがる人は、少なからず存在します。
最近、娘に「許す」ということについて、よく口にしているので出てきました。
私は昔からあっけらかんとした性格で、ものすごくいやなことをされても、一時怒りに燃えても比較的早い期間で鎮火するタイプです。
でも、その相手がごく近い身内の場合、再び似たようなことをされると その怒りが再燃し古ーい事まで持ち出して指摘してしまい、相手を傷つけてしまったりします。
相手を傷つけて今うほど攻撃的になってしまうのは、ごく近い身内だからという気の緩みは大いにあると思います。
他人に対してそれがないのは、「他人」という大きなバリアが存在しているからだと、自分は分析しています。
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> 「嫌だったことを思い出して、怒りがこみ上げてくるときもある。だけど、いつもいつも怒りにうちひしがれているわけではない。忘れている時は忘れている。それでいい。感情というものは勝手に湧いてくるもんだ。湧いたときに、無理に抑え付けようとしなくていい。」
> 「『怒りを感じることとか、ある人のある言動を許せないと思うこと』と、『そのような感情や思考にとらわれた結果、自分が不適切な言動を取る』ということは別のことだ。前者だけなら、何ら問題はない。」
> と、思ったほうが、私の場合は楽です。
wentさんのようにきちんと、不適切な言動を取らないように心がけられれば問題ないですよね
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> というか、無理矢理忘れようとしたり許そうとすることは、どうやら私にとっては難しいことのようなのです。
> 私の場合、無理矢理そうしようとすると、今度は全く別の人や物事に対してその「抑え付けられた感情・思考」が向かってしまうのです。
> 「私はこれこれこういう嫌な経験をした。だけど、目の前にいるこの人は、この経験をしないですんでいる。そんなのは理不尽だ。許せない。」というふうに。
> 結果として、「恨む相手を間違えている状態で、全く別の人に対して不適切な言動を取ってしまった」ことが、過去に何度もありました。
> 「そのようなことを防ぐ」という意味でも、「無理矢理、忘れようとしたり許そうとしなくてもいい」と思ったほうが、私の場合はいいようです。
いやなことをした当事者と一緒にいるときは 再度怒りが込み上げてくることも多いのでしょうか。
私と同じく娘も相手がごく近い身内だからという気の緩みもあるかとは思うのですが、私と違う点は、特に何もない時もその当事者と一緒にいること自体がいやな様で、その場の雰囲気がそれはそれは険悪なものになってしまいます。
私は娘に「忘れなさいとは言わないけれど、いつもその部分を意識するのは愚かだし、何より疲れるでしょ?もっと気持ちを楽にしたら?」としこりの部分をほぐすように話すのですが、なかなか受け入れてもらえません。
やはり、いやなことを意識しているのではなく、意識しないようにしても相手が常に身近にいることで、いやな出来事の記憶を薄くすることがむずかしいと理解したほうがいいのでしょうか。
何か、娘の気持ちの緊張を楽にしてあげる方法はないものかと、日々考えています。
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