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▼wentさん:
こんにちは、夕焼けです。
本人の気持ちという点で、もう少しお話を伺いたくて横入りしてしまいます。
すみません。(不登校中の高校生をもつ母親です。)
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> そういう方に「お任せして」という言葉が気になったので書き込みます。私は親になったことがありません。親の側の事情を洞察していない書き込みになると思います。不快なものになるかもしれません。ごめんなさい。
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> ひょっとしたら、本人にとっては、「お任せ」という態度が苦しいのかもしれません。「フリースクールの先生が与えてくれるものをしっかりと得なければいけないんだよ。『自分はこれが欲しい』とか『自分はこれがやりたい』などと思うのは、無駄だよ。」と言われているように、本人には思えているのかもしれません。私の勝手な想像ですが。
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学校に行ったら、「学校にお任せ」ではなく、「自分は何をやりたいのか」「自分は何をしたいのか」言えるようにしてあげなくてはいけない。と、いう意味にとっていいのでしょうか。
そうだとしたら、親は先回りをせずに待つことがいいのか、選択肢を幾つか出して自分で決めさせるのか…その子によって違うのでしょうね。。。
> また、「誰が、どういう関心のもとに、どのように『不登校を問題にしているのか』」「本人は、学校やフリースクールで何を得て何を失うのか。また、学校やフリースクール側は、そのことについてどう捉えているのか」を考える必要があるかもしれません。
> というのは、このことは、本人・親・学校側・フリースクール側・行政側といったそれぞれの側で、「大きく認識がズレている」と思われるからです。
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そうなんだ。学校側というのはちょっとわかっていたつもりですが、それぞれの認識の違いについては、改めて考えてみたいと思いました。
> 「『自分の将来は学校教育で得た成果にかかわっており、学校に依存することなしには将来の成功はありえない』という意識が、すべての子供になければならない。だから、不登校なんて許されない。」
> というのが、世間一般の認識なのかもしれません(私の身近にいる人達の証言から考えるに)。
うんうん。不登校は許されないとは思っていないけど、「本人の将来は学校教育を受けることにより、少し近道になる場合が多い」とは、思っていますね。今でも。
> しかし、本人にとっては、その認識は「リアリティーのないもの」とうつっているのかもしれません。
> 例えば、「学校に依存しても、苦しい思いをするだけだ。自分にとって有益なものが得られるなんて思えない。」というふうに。
そうみたいですね。言ってることはわかるけど、実感は無いし、それゆえ行動は伴わない。感じです。
> 本人を追い詰める思い込みには、次のものもあります。
> 「学校(学級)になじめないのは、学校(学級)というシステムが本人に合わなかったからではない。本人に社会性がないことが原因だ。」
この点は、私は変りましたよ。多くの人が合うというシステムが自分には合わないのであれば、合うように変えてもらえばいい。どうしても変えられないのであれば、環境を別のところに置けばいい、と。眼鏡を合わせる感じ…。
(ただ、どのように合わせてもらうかが難しいんですよね。情けないけれど、本人のことが理解できていないダメ親です。)
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> 学校側・行政側は、おそらくこの「世間一般の思い込み」に疑いを持たない状態で、本人や親に働きかけるものと思われます。「本人が変わりさえすれば、万事解決。」というふうに。
確かにそうかもしれません。はじめは違っていても、時間の経過と共に回りのことは後回しになって、いつのまにか「本人はどう変ったの?」と本人に任されてしまっている感じがあることに気がつきました。
> そうなった場合、「リアリティーのないものという認識」が修正されることは望み薄です。修正のなされない状態で、簡単に本人の認識が変わるものなのでしょうか? 疑問です。
気づかせてくれてありがとうございます。その通りだと思います。
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