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▼今岡さん:
>いま通院しているクリニックでは、ただ薬をもらうだけで、医師とはせいぜい5分ぐらいしか話ができません。非常に忙しい医師なのです。また、薬以外の解決法などはあまり教えてくれません。コミュニケーション能力などは、たくさん経験を積んで勉強するしかないという考えのようです。しかし、そういうことを学習する能力が著しく劣っているのに、どうやって身に付けられるのでしょう。普通の人が当たり前のようにできている人間関係が私にはできません。30数年も生きてきて、ろくに身に付いていません。
「未診断だが、自分はASに近いと確信している」wentです。
最初に断っておきますが、「『コミュニケーション能力』という言葉の意味内容・使用範囲・条件等が、今岡さんと私とで違っている」状態で、私の書き込みは、なされているかもしれません。
「コミュニケーション能力」という言葉に対して、実は私は、胡散臭さも感じているのです。
このことについて、[#7449]で私は書きました(「人間関係をつくる力」という表現を使っていますが)。
今岡さんがコミュニケーション下手なのか、或は「下手だと思い込まされた」のか。また、前者の面と後者のそれをパーセンテージで示すと、後者はゼロだと言い切れるのかどうか。
ということも、考えてみていいと思います。
「誰それは、コミュニケーション能力が低すぎる。」などと言いたがる人が、私の身近には少なからず存在します。
ただ、その人達の主張する「コミュニケーション能力」とやらの実態は、ひょっとしたら次のような性格を持っているのかもしれません。
・「他者と対話しながら、お互いの違いを尊重しあう」のではなく、相手を自分のフィールドに巻き込み操作する能力
・周りの空気・ノリを過剰に読んで合わせることを、相手に強要する能力
もしも、次のような能力のことを「コミュニケーション能力」と表現しているのなら、たくさん経験をつんで勉強しても、ASの人には習得困難かもしれません。
・「無理にでも笑顔を振りまき、誰に対しても人あたりをよくする」という能力
・「阿吽の呼吸」というスタイルをごく自然に取れるようになる、能力
私の場合、「これらの(習得困難と思われる)コミュニケーションスタイルを、取れるようにならなければダメだ」と思って、人と接する練習をしたことが過去にありました。やればやるほど、泥沼にはまっていきました。
結局、他人も自分も無意味に傷つけただけの結果に終わりました。
私には、「阿吽の呼吸」というコミュニケーションスタイルは困難だ。「人がどんなことに興味を持ち、そのことについてどういう考え方をしているのかを知って、その人の魅力をする手がかりとする。」というスタイルを、私は取っているのかも知れない。そういうスタイルだって、悪いとは言い切れない。
こう思うようになってからのほうが、私の場合は楽になりました。
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