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▼ぷーちゃんさん:
はじめまして。発達障害の子、2児の母です。
まず、診断1年〜2年は受容できてなくても当然、と考えましょうね。
私は、とことんへこんでから浮上するタイプなので、受容まで早かったようにみられますが、まあ、いろいろやりましたね。
自分で受容したつもりでも、親の会に入るとき、あらためて「この子は自閉症なんだ」を目の前につきつけられた気がして、「私はどこかで認めていなかったんだね?」とショックだったり…。
>結果、ASの疑いといわれましたが、「何それ?ADHDじゃないの?」と言うような勉強不足の母親でした。
ADHDも自閉症スペクトラムの線上にありますので、ADHDだから軽度だとかということもないようですね。
純粋なADHDのみや、LDのみもめずらしい方じゃないかな?
私は、たいてい、ASが平行してあると思っています。
ASよりのADHDなのか?ADHDよりのASなのか?みたいな感じで、どっちがどっちとも、いいとも悪いとも言えないですから。
それぞれ困難さはありますので。
なんてことがわかるようになってきたのも、つい最近で、私も最初はADHDの方がASよりは軽いだろう…とか、ADHDなら障害じゃないわ、なんて思ってましたから。
また、私より何年も自閉症児の親やっている人でも、このぐらいの誤解や、誤認識はあるようですので、最初はわからなくて当然なんですわ。
>一方的な話に納得のいかない憤りもありますが、「話が理解しにくいので、勉強にはついていきにくくなって、普通学級では難しいかも」「2年から特殊学級(言い方は違いましたが)も」「低学年から問題が出なくても思春期にはこう言う問題が・・」
>そんなASはこうなるんだという具体例(本でもそういうケースはよく読みますが)が、頭にこびりついてしまいました。
最初は「ASってなに?」「将来どうなるの?就職できるの?結婚できるの?」
「そんな子、もしかして結婚できないかもしれないじゃん。私はこの子の孫を抱くことはできないのかしらー」
なんて、ことで泣きましたし、悩みました。
でも、ASでも、きちんと仕事なさってる方は大勢いますし、結婚して幸せに暮らしてる方も大勢います。
これができない…と、今現在悩まれてる成人当事者もいらっしゃいます(このサイトでもよくその悩みのご相談が多いですよね)が、
成人当事者の多くは、子供の時に理解を得てもらえず、そのために二次障害に悩まされた…という方も多いので、
今、早いうちから我が子がASとわかり、こういったサイトもあって、アドバイスを色んな方から受けることができ、「ひとりじゃない」って考えられる。
こんな環境と、子供のことを一生懸命考えられるお母さんに育てられるんですから、そう悲観された未来ではないと思いますよ。
もちろん、ぷーちゃんさんのご家庭も例外では無いと思います。
>病名にこだわってはいないつもりでしたが、「ASもひとつの個性と考えて」という前向きな心構えが少しずつできつつあった矢先、「AS=障害」ということを改めて着きつけられたように感じました。この掲示板は初診後から時々見るようになりましたが、特殊学級を選ぶのも 私達家族の意見も反映できるように思っていましたが、今日の話では、否応ないものという風に聞こえました.
どういったらいいのかなあ?適切な言葉がうまく浮かばないので伝わらなかったらごめんなさいね。
私は、子供は「AS=障害」だと思ってますが、
ASにも、特性がありますね。いいところと悪いところ。
その「悪いところ」が障害でしょ?
本人が生活する上で困るわけですから。
ASそのものが障害だから「悪い」とは思いません。もちろんそれはぷーちゃんさんも同じ思いでらっしゃるかと思います。
ただ、本人を困らせてる部分の「障害」を、なんとかしてあげたい、が、親の思いですよね。
私もパニックで泣く息子を見るたびに、胸が締め付けられましたもの。
なので、「この子は障害だ」というより「この子の障害部分を助けてあげたい」かな?
下の娘は、ファンタジー爆裂で、ものすごーいぶっとんだ発想をする子です。
それがまた可愛いんですけど。
その、発想の素晴らしさは、その子の個性として伸ばしてあげたいのですが、なにせぶっとんだ発想をするということは、ものの理解が健常の子より遅れています。
そういった点を、どうやったら改善して、本人が生きやすくできるか?を考えるのが母の役目でして…でもそこが難しい…。
とりあえず、私は娘のファンタジーにはつきあって、いっしょに遊んでます。
「すごい発想をするな、この子…」と感心します。
病院の診察カードをゲームに見たて、いつまでも空想の中のゲームで遊んでいられたりするのを見ると、「うーん、このへんが自閉?」と苦笑しますが。
でも、そうやってファンタジーにつきあっていって、悪くなったことって、我が家では無いんですね。
むしろ、発達が伸びていってるぐらいで(うちの子の場合においては…です)
あらま、子供と一緒になって遊んでることが功を奏したかしら?
てな感じでして。
また、私が忘れっぽいですし、けっこういいかげんな母親なので、子供のほうからあれやこれや指摘されることが多いです。
「おかーさん、昨日忘れたでしょ!」「あら、おかーさん忘れっぽいんだからお前の方が覚えておいてよー」
なんて日常です。
親がしっかりしてないので、子がしっかりしていったタイプがうちかもしれません。
>母親なんだから、「私が一番知っている」と大きな声で言えなくて、「今でもうちの子のどこがそんなに問題なの?」と叫びたいのに。一方でどんどん「障害児」になっていく現実に不適合しています。
これは、どなたにでも申し上げてるのですが、「親」になるって、一朝一夕にはなれません。
よくいわれる子供が「5歳ならば親も5歳」です。
子供が、ハイハイからつかまりだちして、歩けるようになるように、
親だって、子を産んで即、立派な親になれました なんて人はまず少ないと思いますので(つーか、ありえない?)
子供と一緒に親になっていくのが世の常です。
健常児の母であれ、自閉児の母であれ。
子供と一緒に親になっていって、過去を振り返ったとき見えてくる姿が、自分の姿じゃないかしら?
今は、自分の姿が「立派な親」かどうかなんて見極められないと思う。
そして、ある日思うのよ。
「子供よ。私を『親』にしてくれて、ありがとう!」
それでは。
見当違いのレスでしたら、またあらためて後ほど。(ただでさえ、長くなりましたので。失礼しました)
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