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▼wentさん:
レスありがとうございました。
パソコンの不調でお返事が遅れましたことをお詫び申し上げます。
他のスレッドでも感じましたが、wentさんの分析力はすごいですね。
> 「『学校内には、何か自分の身の安全を脅かす危険なもの・ことがある』と察知した(意識化できていないと思われるが)子供が、自分の人間性を守るために危険なギャンブルに(本人にもワケがわからず・身体がいうことをきかないという形をとって)出ている。しかし、その行為は大人を悩ますものと認識されている」といったところだと思います。
私には子供が何を不安に思っているか心配なのかなかなか理解できません。
現在の息子のおかれている状況が少し分ったような気がします。
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> ひょっとしたら、「本人が楽しく通学できるのならどこの学校でもいい」という思いが、本人にとっては苦しいものなのかもしれません。
> 「学校に楽しく通学できる」という状態になることなんてありうるのか? という思いが、本人にある(意識化されているとは限らないが)のかもしれません。
そうなのかもしれませんね。
そういえば「お母さんは外に出てみんなと遊んでこいというけれどそれが僕にはストレスなんだ」と何年か前に言われました。
考えが他のお子さんとは違うのですね。
今息子には「楽しく学校に通う」を目指させるのではなく、
「学校はいろいろな経験をする場所」だと考えた方がいいのかもしれません。
> 「学校は、非人間的な性格を持っている場である。学校で苦しい思いをすることがあっても、必ずしも本人が悪いとは限らない。こんな学校だけど、料理のやり方をいろいろと工夫しないよりもするほうがいいだろう。料理の仕方を、本人と一緒にいろいろと考えてみようか。」という見方をしたほうが、本人にとっては楽かもしれません。
わかりました。
視点を変えて接してみます。
> 「息子さんの本当の気持ちがよくわかりません」とありますが、「気持ちを考える」という近づき方は、ひょっとしたらASの人に対しては合わないかもしれません。
> 「相手が、自分のことをわかろうとしている」と判断するツボが、ASの人と定型発達の人とでずれているのでは……と私は思っています。
> 前者では「主張の論理構造を、相手が理解・納得しようとしている」ということで、後者では「共感を示される・感情を共有してもらう」ということではないかと、思っています。
> お互いがこの違いをわかっていない状態で「相手のことをわかろうと」した場合、うまくいかないかもしれません。
> 「情に訴えた駆け引きに出ている」「理屈をこねて、いびり倒そうとしている」というふうに誤解されることも、あり得ます。
> 「プライドが高い息子」という表現がなされていることが気になります。 「本人の情的なことを、根拠も示さず勝手に決め付けた」ということを嫌う、ASの人も多いんじゃないかと私は思っています。
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> ASの人に対しては、情的なことを前面に出す(例 「心配している」とか「あなたが辛そうにしているのを見るのは、私も辛い」といった言葉をかける」)よりも、「理論付けて理解・納得してもらうことを目指す」という方針をとったほうがいいかもしれません。
> 例えば、「起こっていることの現状分析並びに将来予測」「そこからよりよい未来を引き出すための対策等を示す」といったような。
どうしても女親は「情」が前面に出てしまいます。
いけませんね。やはり感情的にならず冷静な目で分析してどうしたらよいか
考えなければ…
> 中間テストのことについて出ていますが、「中間テストの料理法」についていろいろと考えてみてもいいかもしれません。
> 私の勝手な想像であって、統計的根拠はないのですが、ASの人の場合「定期テストよりも実力テスト・模試・入試本番でいい成績をとっているのではないか」と思っています。
> 何故なら、定期テストは、「得意科目・不得意科目の差が小さい人」「『good morning がどうしておはようになるんだ?』といったようなことに気をとられない人」に有利にできていると思うからです。
これも当たっています!!
> 「定期テストは、弱点分野の発見用と割り切ってよい。『わかってもいないのに点数は取れる』という勉強よりも、じっくりと取り組んで実力をつけるという方針が合っている人もいる。」といった案も考えていいと思います。
> また、ASの人の場合、中学高校で成績が伸びてくる人も結構いると思います。
> 「小学校よりも中学以降のほうが、内容が体系的になってわかりやすくなった」という人も、いるのではないかと思うのです(私がそうでした)。
参考になるご意見ありがとうございました。
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