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皆さん、コメントありがとうございます。
長いコメントなので返答が最後になってしまい申し訳ありませんが、コメントの長さの分だけ真心がこもっているものと思い、ありがたく頂戴いたします。
▼三月うさぎさん:
>そうですねえ。スレの主題が、「なぜ女性に嫌われる」でしたね。
>つまりは、そこです!
>
>女性って、前にも申しましたが、自分の愚痴を聞いて欲しい生き物でして。
>男性には、できればその愚痴を黙って聞いてくれるぐらいの裁量が欲しいですね。
>女の話しに対して、自分の話しばかりしてくる男性は、NGだという女性は多いと思いますよ。
確かに口数が多いと軽薄に見られることは間違いないでしょうね。(^^;)
TVドラマでもアニメでも、金持ちのお坊ちゃまでも軽薄なキャラクターは結局最後に泣きを見る展開が多いですね。
>次に、チキさんは話題の中によく、カラオケの話しをされますね。
>そこのところは、チキさんのセールスポイントにしたいとこなのですね?
>萌えボイスがどーの、高得点がどーのって、私は実際読み飛ばしてます。
>必要の無い情報だと思うので。
>
>発達障害者にありがちなのは「自分の得意分野を認めてー。聞いてー」なのね。
>で、チキさんは実際頭のいい人ですから、たとえば「記憶力がこれだけ良い」とか「仕事でこの分野で活躍してます」とか、だと、まだ「まあ、すごいですね」と聞けるのだけど、「萌えボイスで高得点〜」は、趣味の分野なので、相手だって自分に興味の無いことは聞くのがつらいです。
>(これも、私にもあります。私はよく、演劇の話しをすると注意されます。)
そうですね。
これは最近ADHDのサイトでぼやいたことでしたが、オフ会でのボウリング大会をめぐって、BBSの外側でケンカがありました。(でも今は解決しています)
でもケンカの原因は、ボウリング大会で過去に(1ゲームをフルに投げ終わって)33という大惨敗を経験してフラッシュバックからパニック状態になったことがあるので、他の参加者との格差を少しでも埋めたかった、という私のコメントが誤解を招いてしまったからでした。
何れにしましても、発達障害の有無に関係なく、人間というものは劣等感が強ければ強いほど、他のものに優越感を求めます。しまいにはカラオケの採点結果など、取るに足りないものまで自慢の種にするようになってしまい、自慢の種がなくなってしまうと今度は不幸自慢、これでは女性ばかりか男性にも嫌われて当然かもしれません。
だからボウリングの劣等感を乗り切るのは私には2通りしかありませんでした。
●ボウリングは今後一切やらない。(会社のボウリングコンペは仮病を使ってでも休む)
●練習して他の参加者との格差を少しでも縮める。
私は消極的な方法を好まないので、時々近場のボウリング場に出かけては「特投げ」を行っていますが、どうしてもスコアが3桁の大台に乗らず、こちらも進展がありません。
でも身体障害でハンデを加算するとたとえ10ポイントでも順位が逆転するくらいにはなりました。
でも案外不思議なもので、カラオケの自慢がスポーツの異常な劣等感の裏返しだと気づいたら、昭和50年代〜60年代にディスコで流行った曲を歌っても、踊りたくても踊れないことで感じる空しさはむしろ半減しました。
>秋桜さんのコメントを読んで、チキさん正直どう思ってました?
>秋桜さんが「管理人の立場から、一般的に女性にとって、この話しは不快と思われる方もいますよ。」
>と、おっしゃられてることに対し、
>「秋桜さんは、管理人として狭量だ。自分ならそんなことでイエローカードは出さない」
>などと思いませんでしたか?
それはありませんでした。
確かに私が秋桜さんの立場だとしたら目をつぶる事例かもしれませんが、ただ単に秋桜さんの御指摘だけでなく、私の親父がオフクロを物心両面から完全に支配しようとしてオフクロに45年来のトラウマを与えた、という事実を思い出し、これでは結局親父の二の舞を演じてしまう、と感じたのが、いったんコメントNo.9229を削除して[#9239]として修正コメントを入れた最大の理由です。
まだまだ[#9239]でも削除前のコメントを御覧になっている方にとっては手ぬるいかもしれませんが、それでも少しでも不愉快に感じる人が少なくなるのなら、という思いはあります。
>実際、チキさんの発言随所に、それが見られますので、「今回はそうは思わなかった」でも、形を変えると 出てくる と、思います。
>(実際、秋桜さんのコメントを読んだとき、私は『チキさんこれ、ちゃんと受け止めるかしら?』と心配しました)
実を言うと、削除はされていませんがコメント[#8441]には秋桜さんからメールでクレームを戴いています。このクレームだけは今以て納得ができません。(理由を説明すると長くなるので別の機会にします)
でもコメント自体は反響が非常に大きく、10/28の午前0時現在670件のアクセスがあります。
これ以外のクレームについては、今はすべて納得しています。
>「自分はそう思わないから、相手の方が間違ってる。または理解できない」(発達障害者の悪い癖です。そこが障害でもあります)
>
>今回のポイントはこのへんかな?
そうですね。
納得できないことにひたすら怒るよりも、無理をしないで自然に納得できるような方法(例えば時間に任せる)を考えたほうが気楽なことは実際多いですよね。
怒りというのはかなりのエネルギーを浪費しますが得るものは少ないですからね。
▼秋桜(管理人)さん:
>他の方がもう既に言い訳についてコメントされていますが、言い訳というのは自分を正当化する行為であり、聞かされる相手からするととても苦痛に感じるものです。
>
>私はコミュニケーションというのは相互関係である以上、「自分は苦痛を与えるつもりじゃない」といくら主張しても相手がそう受け取ってしまったことに関しては諦めて潔く謝って終わることだって必要だと考えています。
そうですね。
以前にもコメントしましたが、一般論で言うと、例えば私が「館」参加者の一人に対するレスで「バカ」という暴言を吐いたなら、私が第一にしなければならないことは「バカ」という暴言を流したことに対する謝罪でしょう。
それだけなら納得はできます。
ただ私が参加者Aさんのコメントに対するレスで「バカ」と言う暴言を吐いたことに対して私が謝罪しても、Aさんが身体障害を侮辱するコメントを流したのが原因だとしたら、私が謝罪することでAさんが身体障害を侮辱したことがうやむやにされてしまうような気がする、それが納得できない。結局言い訳につながってしまうような気がしてなりませんでした。
でも原因があって結果がある、という哲学は、結局はとことんまで相手を追い詰めることになってしまうような残酷な一面があるようにも感じています。言い訳の根底にそういった哲学があることを自分でも感じているので不愉快を通り越して空恐ろしいくらいに感じることもあります。
でもトラブルの解決は裁判ではないのだから、大事にならないうちに丸く治めたほうがベストでしょうね。
>自分の気持ちを大切にするのはいいことですが、それと同じくらい相手の気持ちを尊重するのは必要だと思いますよ。
そうですね。
先ほどの話に戻りますが、Aさんが身体障害を侮辱したことに怒ったとしても、Aさんは悪意で侮辱したとは限らないし、それを必要以上に突っ込むとおそらくAさんも居たたまれなくなってしまうかもしれませんね。
「丸い卵も切り様で四角」といわれますが、Aさんが身体障害を侮辱したことに対する指摘ももちろん必要かもしれないけれど時間を置いて冷静に対処することがベストなのかもしれませんね。
その結果言い訳も減らせるかもしれない。
理屈では解っていながらなかなか実践できませんが、決して不可能なことではないので今後も心がけるようにします。
>私も色々指摘されるのは嫌いな方ですが、小さい頃から母に「言われているうちが花なのよ。本当に呆れたら人は何も言わなくなるんだからね」と言われ、「私が悪いじゃなくて、私の行動が悪いから注意してくれるんだ」と考え方を変えるようにしています。
>
>私が今勉強しているコーチングでも発想の転換は大切だと言われています。誰だって人から嫌われるのは嫌なことなのに敢えてそれを言ってくれるのですから、耳に痛いことを言ってくれる人はありがたい人なのです。
そうですね。新約聖書でも「最後に感謝されるのはおべっかを言う人ではなく忠告をする人である」という一節がありますが、宗教とは無関係に値千金の言葉だと思います。
>みんな多かれ少なかれ理不尽なことはあります。大切なのはその与えられた環境の中でどの位その人らしく生きているか、ということではないでしょうか。
>
>コミュニケーションや社会性に関しては療育のお陰でここまで来れましたが、身体に関しては残念ながら障害とは言い切れないまでも多くの問題を抱えています。小さい頃に分かればもっと違ったのでしょうが、当時は残念ながら分からなかったので、今医師やピラティスの先生(時々元職場のPTやOT)といった人と相談しながら少しでも改善する方法を探っている所です。
やはり今まで現実を必要以上に深刻に捉えてきた結果でしょうが、結局は誰が世の中で一番幸福で、誰が一番不幸なのかは誰にも決められないことで、心の持ちようなのでしょうね。
確かに不幸自慢のオンパレード状態は否定できませんが、一日一日を生きるのに精一杯の人もたくさんいますし、そういった人たちと比べるとまだまだ私はゆとりがあると思います。
悩んだことが無駄にはならないよう、これからも「館」を大切にしていきたいと思います。
皆様ありがとうございました。
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