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▼チムママさん:
>娘の気持ちが私には「不思議」過ぎなんです。
>
>小5アスペの娘の母です
>
>今週に入って、学校で大泣きしました。
>理由を聞くととても些細なことです。
>ただ娘にしてみるとその相手がずっとイジワルをしてきた子なので
>恐くてイヤで仕方ないみたいです。
>その子に過剰反応を起こすようになってきました。
>
>小規模校で一学年一クラス、女の子は娘を含め5人です。
>そんな中で「関らないように」と言っても無理なのですが
>でも、最小限避けることは出来るはずなんですが。
>何も自分から寄って行く事は無いと思うのですが・・・
>
>なのに娘は自分から相手の子に話しかけ、ちょっかい掛けてたそうです。
>後から聞くと「だってXちゃん(相手の子)もう恐い顔してなかったもん」
>
>恐いだけで嫌いではないから、仲良くしたいという事のようです。
>
>「関れば、いいこともあれば嫌なこともあるし。なるべく近づかないで」
>と言ったのですが、娘は「うん」と言いますがまた繰り返すと思います。
>
>そんなことを言っても通じないのか
>または私の言い方がマズイのでしょうか?
「それは逃げだ。そんなことはよくない。」といった類の言葉を聞かされるのは、よくあることだと思います。しかし、私は、その言葉は危険だと思っています。
「『逃げるのは悪いこと』とこれまでにさんざん吹き込まれてきて、それを信じてしまって泥沼にはまる場合」もあるかもしれません。ひょっとしたら、娘さんは、その状態なのかもしれません。
「三十六計逃げるにしかず」とは、うまく言ったものだと思います。
「逃げるのが悪い」のではありません。「『逃げ方が下手すぎる・逃げ方の工夫をしない』のが、問題となる場合もある」という表現のほうが、適切だと思います。
このことについて、娘さんに説明してもいいかもしれません。
次からは、小学生ではなく「成人ASについての内容プラスwentの個人的体験」になってしまいます。的外れでしたら、スルーしてください。
・どういうわけか、よりによって、タチの悪そうな人・ソリの合いそうにない人に近づいてしまい、人間関係で苦労してしまう。
・どういうわけか、よりによって、向かないと思われる職種を選んでしまう。
という成人ASの人って、たくさんいるのではないかと思います(いろいろなサイト・ブログを拝読しての、私の印象です)。
この不思議なことが見られる理由は次の2点にあると、私は思っています。
1 状況認知・判断がうまくできなかった
2 「手がかからない」「面倒なことをしない」「逆らわない」といったような「〜(し)ない」という形(否定形)で表現される「良い子」を求められて育った(と本人が認識)した。その思いが、奇妙な方向への暴走につながった
2について、更に書きます。
2のような良い子と、「『自分がいることで他の人が喜んだ。自分もそれを知って嬉しくなった』という経験を大切にされた」良い子とは、やはり違うと思います。
否定形でしか表せない「良い子」(以下、「擬似良い子」と表記)の場合、次のような不安を抱える危険性があると思います。
「少しでも悪いこと(面倒なことをする等)をすれば、他人に見捨てられる」という不安を。
「否定形で表された」生き方に偏った場合、後に「人とのつきあいで破綻が生ずる危険性」が高くなると思います。
人とのつきあい上、どうしても付きまとってくることのひとつに、「欲望の調整」があります。調整には、「主張し合い、対立し合い、歩み寄り、お互い様」ということが必要となります。
しかし、擬似良い子の場合は「欲望を自分の心の中に閉じ込めてしまう」ことになってしまうと思われます。それだけではなく、「擬似良い子ではない人との、格差」を意識することになると思われます。
ここで、擬似良い子は次のような形での「態勢建て直し」を考えてしまうのではないかと、私は思っています。
・これまで自分は、『○○のできる・上手な子だ』という見方を他人からなされなかった。『どうせおまえには実力がないんだから、せめて人さまのジャマにならないことを目指しなさい』と言われ続けてきた。。
・今までは、欲望を自分の心の中に閉じ込めていさえすればよかった。しかし、これでは生きていけないとわかった。『自分は○○ができる・上手だ』ということを他の人に認めてもらえなかったら、お先真っ暗だ。
・「○○ができる・上手だ」の○○の部分は、「容易に達成できそうな課題」だったら人から認められない。ある程度達成困難な課題でなければいけない。
こういうわけで、わざわざタチの悪い人・ソリの合わない人に近づいて、「『私は人とうまくやっていけない人ではない』と主張することを目指してしまう」ということになってしまうのではないかと、私は思います。
こういうときって、えてして、「タチの悪い人・ソリの合わない人」が「自分のためを思って、厳しい修行につきあってくれている良い人」に見えていたりするのでは……と思います。
それだけではありません。
「無理しなくてもいいのよ」といったような言葉を親切な他人からかけられた場合でも、「『どうせコイツにはできない課題だ』と決め付けて・見くびって、言いやがったな。」などと思って余計にムキになってしまうこともあると思います。
「『あんたはプライドが高すぎるのよ』などと言われて、余計にムキになる」ことも、ありうると思います。
「生きるうえで必要最低限の自尊心が満たされないから、プライドを求めているんだ。『プライドが高い』という物言いは、どこか見下している相手を更に見下そうという意図を以ってなされてるんだろ。」というのが、本心だと思います。
職業選択についても同様です。
娘さんの場合とは状況が違うようですが、私の子供時代について書きます。私もいじめ・からかいのターゲットにされていました。
このことについては前にも書きましたが、今回は、「いじめ・からかいをした側・身近な大人の見解」と「私の見解」との間に、ズレがあったこと」について書きます。
この「ズレ」に気づかなかったがために、「上手な逃げ方をしようという発想が、出来なかった」のだと思います。
いじめ・からかいについては、身近な大人からは、次のように言われていました。
・言いたい人には言わせておけばいいじゃない。あなたが無視すればすむだけのことよ。
・わざわざあなたに近づくのは、あなたに関心があるからよ。人から関心持たれなくなったら、もうおしまいよ。無視されるということは、ずっと残酷なことよ。
・いじめじゃなくて、ふざけでしょ。ジョークのわからない暗い子ではいけません。
どの言葉も、私にとっては説得力のない言葉でした。その理由は、見解のズレがあったことだと思います。
いじめ・からかいをした側・身近な大人の見解(注 今となっては、私の憶測にすぎないのですが)
1 周りの人を笑わせてその場を沸かせたら、勝ちで偉い。wentがどんな気持ちを持とうが、自分の知ったことではない。wentも、「その場が沸いたんだから、それでいいじゃないか」で片付けりゃいいだろ。
2 wentだって、同じようなノリで同じようなことをやりかえせばいいだろ。そういう状態を、「ふざけあい」というんだろ。
3 「無視する」というのは、「相手に関心を持っていない」「相手に敵意を持っている」ということを意味する行為だ。無視というのは、最大の侮蔑だ。wentは無視しないでいちいち反応してくるから、嫌がってないんだ。相手に関心を持っているんだ。
私の見解
1 「wentに対して、敵意ではない関心を持っているから(単なるジョーク等を用いて)近づく」というのなら、「敵意ではない関心」にふさわしい近づき方が他にある筈だ。「wentの身体の動きがぎこちない」とか「wentは音痴だ」とか言って近づくのは、それにふさわしい近づき方とは思えない。
2 「無視」というのは、「相手に敵意を持っている」行為ではない。「やりとりしようとする情報があるわけでもないのに、わざわざ他人に何か働きかける」ということは、「他人が思考・感情を味わっている状態を自分が勝手に中断させること」でもある。
だから、「無視」というのは、「相手に敵意を持っていない」ことを示す行動だ。「無視すればいいだけのことでしょ」というのは、「『100%wentが悪うございました』と認めろ、しかも無抵抗でいろ。」というのと同じだ。
3 「いじめじゃなくて、ふざけでしょ(つまり、相手は悪くない)」と言うと同時に、「無視すればいいだけのことよ。無視のほうが、残酷よ」というのは、矛盾している。結局、相手は悪いのか? 悪くないのか? 混乱する。
こんな状態でしたから、「挑発に対していちいち反応していたら、相手は余計に付け上がってくる。だから、無視する・逃げるという策のほうが良さそうだ。」ということが、当時の私には理解不可能でした。
「無視」と「逃げ」について、考えてもいいかもしれません。
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