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>私は病院の先生が人間だと実感できた辺りから、しんどくなって病院を逃げ出しました。先生に感情があるのがわかったら怖くなってしまいました。
評価される気がするからかな?
自分にコントロールできない存在に感じられるからかな?
本当は、その人を鏡にして映し返される、自分の姿が怖いのかな?
私も、しっかりした枠組みの中でしか、人間関係が機能しません。
>もしかして、私にとって先生はカウンセラーマシンだったのかもしれません・・。
>できるだけ刺激を避けることができるように、先生も私もお互い横を向いて、目を合わさないですむようにして、話を聞いてもらっていましたから。
集中する時、1番邪魔なのは、人です。少し動かれても、すぐそっちに気が行き、集中しなおさないといけなくなります。だから、質問だけ発する機械のように感じ、機械に応えるみたいに、答えだけボソッ、ボソッと言います。相手への配慮などすると気が散ります。
私にとっても、最も刺激的なのは、人です。
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>でも私も感情があるのだから機械ではなくて人間なのですねー、当たり前か。
>なんでそれを簡単に認められないんだろう・・・。なんで自分は人に出会うと機械みたいになっちゃうんだろう。
認めていて、脅威を感じるから、機械みたいになるのでは?私の場合は、そうです。
>今はもう一度同じ病院に行くべきか悩んでます。他の所に行ったらまた一から説明するのが考えただけでしんどいし。
私も、疲れを感じました。
なので、詳細な生育歴を書いて、重要なエピソードだけ文章にして持って行き、手渡し、読んでもらいました。膨大なので、その場ではなく、読んでおいて貰うことにしました。そうすると、次回から、それを基に話が進むので、ポイントが絞られていて、話しやすかったです。
書いた物は、「全く無視」の先生もいましたが・・・。
まとめながら、自分の姿がハッキリしてきて、セルフカウンセリングみたいだと感じることもあり、それだけでも価値はあったと思います。
ああ・・・、いけません。
まだ、頭が「過集中」のなごりで、文章が断定的で、走ってる感じがします。
ごめんなさい。
もう少しクールダウンの必要性があるようです。
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