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軽度の自閉症の指導に関しては、市内では、私の右に出る者はいない。そう自負していました。
事実、ADHDの子の行為障害はよくなる、アスペルガーの子の不適応が改善される、LDの子の読み書き、計算力が付くなど、パソコンソフトを開発して、自分では成果を上げていると自負していました。
世間の目というのは違うんですね。つくづく自分の世界と他人の世界の違いを感じさせられました。
「教室が雑然としている。」これは、年度当初にも私の障害の一部として了承してほしいことを通信でお願いしておいたのですが、他校とくらべると著しく雑然としているので、保護者は、十分な教育を受けさせてもらえていないと感じているらしいことがある懇談会の中からわかりました。
私は、「見かけで人を判断する」という行為が嫌いなんです。
教室はきれいでも、忘れ物をした子を廊下に立たせるなどの体罰を加えている先生も現実にはけっこういるんです。
そういう先生は、教育委員会の訪問の時には、掲示物を「子どもの歩み」として誉められ、全体会でも紹介されるんです。
こういう事実に腹立たしさを感じ、私はあえて教育委員の訪問の時も、特にきれいにすることはしませんでした。というよりできなかったといった方がいいでしょう。
これが最近墓穴をほることになっていたとは気づきませんでした。私の最大の支援者である保護者にも、「雑然さ」=「指導のいいかげんさ」に結びつけている人がいることがわかりました。つくづく、「整理整頓ができない。」というのは教師として、社会的、職業的に著しい障害なんだと自覚しました。でも、見かけで判断しないでほしいというのが本心なのですが、これは世の中では通用しないんですね。よくわかりました。
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