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僕は最近、一日一度は、こんなことを考え込んでしまいます。
それは、
“AS周辺のハンディを持っている方が、夜や不調時にには、安心して休めて、
昼および好調時には、そこから笑顔で、仕事やボランティア・生涯学習など
社会参加活動へ向かっていける…居住環境というのは、どんな感じの所
なのかな?”
ということです。
なぜかといえば…
1.8〜6割くらいは自立的に生活できる力は持っているけど、今ひとつ、
睡眠のリズム・コミュニケーション・遂行機能あたりがボツで、自信を
もって外界と折り合いをつけることが難しい
2.市場原理に基づいて、豊かな人から、再生可能エネルギー・IT機器にありつ
くとなると、何かのきっかけで低所得になった場合、より効率の良いものの恩恵に
あずかれず一生を終える可能性が高まる
3.仮に、行く末を心配した親から、マンションの一室を贈与されたとしても、
そのマンション自体…築35年以上など老朽化していた場合、次の大震災で大破
してしまったら、住むところがなくなってしまう
というリスクを抱え込んでいて、
“誰にも相談できない(T_T)”
“どうか神様…そんなときは私の命を真っ先に奪って、その分他の人へ分けて
あげてやって下さい(T_T)”
という感じの方…うつを二次障害に持っている方を中心に、少なからずいそうな
気がするからです。
消費税増税だったり、原発YESorNOだったり、東日本大震災からの復興の
途中だったり、今の日本はまさに“未来へ向けての岐路”にたっていると思います。
特に居住環境のあり方は…“ホントにこれで大丈夫?”ということを、
住む側の視点から、供給する側へきちんと意思表明していくことが不可欠
な分野なような気がします。
“こんな感じの場所なら…親亡き後も…自分は安心して、生活していける!”
というのは、どんなところですかね?
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