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はるかママさん、こんにちは。
あくまでもお子さんの立場で、私だったならという事ですが。
>私なりに「何故なら」を説明しているつもりなんですが、思うようにいきません。
>ただ、上記のような考え方が私に出来るようになったのは、ここ最近のことです。
>それまでは、屁理屈にしか聞こえませんでしたね。
>
>例えば、夕方仕事から帰ってきて、「今から本屋に連れて行って」と言われ(田舎なので車で20分くらいかかるんです。)「時間がないから無理よ」と答えます。
>すると「何で?」なんです。私の中では、「時間がない」という理由を言ったつもりなので「何で?」と言われると、今言いましたけど・・・って気持ちになるんですね。でも、この子の「何で?」は「何で行かれないの?」ではなく、「何で時間がないの?」だったのかなと。
その通りと思います。「何で時間がないの?」の方ですね。私の場合それを理解できないと「時間のない理由」と自分の中の「思いのすり合わせ」が出来ないのです。言い換えると私との会話が成立しないのです。
まずは私の中では「無理よ」と言う言葉も同時に記憶しながらも「何で時間が無いのか?」と感じて「何で?」と聞くと思います。その理由の後の結果として「無理=行けない」か「条件次第では行ける」のかに分かれますので、その結果が自分の中で理由として納得する前に「無理」と言う答は納得できないと思いますね。良い悪いは別として「時間が無い=無理=行けない」なら「時間がある=可能=行ける」と言う思考回路です。その「行ける条件」の追求をしてしまうと思いますよ。何故なら本人の欲求が「本屋さんに行きたい」のですから。それを言葉で相手に表現しなければ相手には伝わらない⇒言葉にする⇒理由も理解できずに否定される と言うのが今の流れだと思います。
例えばですが、私の思う「具体的な理由」と言うのは・・・
今仕事から帰ってきて疲れている。でも今から急いで夕飯の支度に取り掛かっても出来上がるのは7時くらいになる。それから食べ終わって後片づけして8時。お風呂に入ってなんやかんやで・・・9時。もう寝る時間でしょ? こんな感じで話して貰ったら納得する(私が母親に対して従おうとする意識がある場合ですが)と思います。納得せざるを得ませんよね。できれば時間的な事は、お子さんに答えてもらう方が良いと思いますが。(一方的にママさんから押し付けない様な会話です)
しかし、この内容を聞いても私の思い?欲求が大きいと判断したなら納得しませんし、この時に出てくるのが「じゃー」と言う条件の追求の言葉になります。
普通の人同士では簡単に通じ合えるであろう理由の「時間が無い」だけでは難しいと思いますね。「理由」自体の解釈?感覚?の違いと思います。
>そんな思いで、似たようなことがあった時に
>「9時には寝るよね。今からご飯作ったら6時半になるでしょ。すぐ食べても、7時前になるよ。お風呂はいると7時半だよね。宿題あるよね。・・・本屋に行って帰るだけで1時間かかるよね。」という説明をしたところ
>「じゃ、晩ご飯はおにぎりにして車の中で食べればいい。宿題は朝するから大丈夫。」というような答えが返ってきました・・・。
>彼の中では、もうすでに答えが出ているんです。それを納得させることができないんですね・・・。
その通りです。上で書いた事の可能性としての「欲求の追及」=「条件の追求」をしているのだと思いますし、お子さんも思っていると思います。「ママを納得させるのは難しい」と。
上で私が書いた事と同じような事をママさんはされているようですが、お子さんはそのままママさんが言われた条件を理解し、そして次の解決策を考えていますね。「夕飯の支度と食べる分の合計時間と手間は、おにぎりの方がはるかに効率的だ」「おにぎりに変更すればその時間的も空くしママも手間も取らないはずだ」「おまけに後片付けもいらないじゃん」⇒「じゃ、晩ご飯はおにぎりにして車の中で食べればいい」「こうすればママも楽だし、僕の希望も叶うはずだ」となったのかも知れませんね。「忙しい」を理由にされたママさんの仕事を軽減させてあげたいと言う気持ちも入っているような気がします。
日々の生活の中で忙しいのは理解できますが、あえて「おにぎり」でドライブできない「理由」はママさんにはあるのでしょうか?多分お子さんはそこさえ理解できれば納得できると思いますし、反対にお子さんと解決策を会話としてされてみても良いように思いますよ。
例えば 夕方、母が帰宅後・・・
子「ママ、本屋さんに行きたい」
母「・・・時間が無いから無理よ〜」「ママの予定では 〜して6時でしょ。それから〜で8時で。お風呂に宿題。やっぱりママは無理だと思うけど・・・でも、○○ちゃんだったら、どうしたら今、本屋さんに行けると思う?」
子「夕飯はおにぎりにして、本屋さんに行く途中で食べればいいよ。宿題は明日の朝早起きしてやるから。お風呂は今日は入らない。」
母「じゃー、明日は何時に起きるの?」
子「いつもは7時だから・・・6時に起こして」
母「分かった。6時ね」「じゃー、本屋さんに行こうか♪」
こんなに上手くは行かないと思われるかも知れませんが、お子さんにその時の予定を矛盾なく組んでもらうのも方法の一つだと思います。私がお子さんの立場なら上手く行くと思いますよ。考えた事、言語化した欲求を頭から否定もされず、考えを聞いてもらって、おまけに自分の出した答あわせが出来るのですから、やはり本人にとっては嬉しい事と思います。(私にとってはですが、この事自体でも十分な愛情と感じます)これを繰り返せば、ある程度の自主性と自信が付くと思うのですが。もしかしたらお子さんの意外な計画性、意外な可能性をも発見できるのかもしれません。
>タイムさんは、一つ目の「何で?」に納得はできるんですよね?
>それは、心の底から「そうか!」と納得できるのか、もやもやしながらも納得するのか・・・どう思いますか?
言葉を一方的に押し付けられず、私が母親に対して従おうとする意識がある場合で、「具体的な理由」があれば心の底から納得できます。
ただ、普通の人同士で通じ合えている「忙しい等の理由」では、AS傾向の私には「具体的な理由」になりませんので、「もやもやしながら私の願い、希望が叶わなかった」となると思います。納得とはなりません。
>>この母親と中学、高校の一人の友人がいてくれたお陰で、私は生き延びられたと思っています。
>
>私にとってこの言葉はかなり重たかったです。
>あの子にとって私がそういう存在にならないといけませんね。
理想は親がそう言う存在である事だと思いますが、そういう存在にならないといけない事はないと思います。私の子供時代には、言語化こそ出来ませんでしたが、心の中では特に母親の元気がなくなる事が一番気がかりでした。理想はあくまでも理想。理想に縛られて母親自身が体調を壊してはいけませんし、恐らくそれをお子さんも喜ばないと思います。ただ私の場合に必要だったのは、今から振り返るととことん話を聞いてくれる存在だったと言うだけです。極論言えば、親でも他人でも大人でも同級生でも良いと思います。たった一人で良いと思いますが、今は昔と比べて良い施設や良いスタッフさんがおられると聞きます。そちらを頼るのも考えの中から排除しないで下さいね。
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