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▼francisさん:
こんにちは。
とても気になり、惹かれるスレ・・・ということでレスつけさせて頂きます。
私個人の感じ方なので、もし考えが違っても「こういう人もいるんだ」
くらいの軽い気持ちで見ていただければ幸いです。
「ASなら困り感があるだろうからもっと障害を心に留めるべきだ、
定形との線引きをしっかり自覚しないとだめだ」
というのもナシでお願いします。
あくまで、いい悪いや理想とは関係なく気持ちや生き方を
話すだけ、ということで。
> 皆さんは発達障害であることがわかってどう思ったかレスお願いします。
私も絶望感を感じました。
特に孤立したりいじめられていたわけでなく、普通に友達もいれば
学校にも難なく行けている、という状態だったので余計、これまでの
自己像が音を立てて崩れていくようでした。
(私は自分で診断を受けに行ったのではなく、まだ社会性も知能も
これからどうなるかわからない物心ついたばかりの頃に診断され
多感な年齢でその告知を受けた身です。)
自分の考えていることは実はおかしいのではないか?自分の気持ちや
思考など信じてはいけないのではないか?
発達障害を知って以来(知る前の失敗経験によるものではないので
勘違いなさらぬようお願いします)そんな考えが常に浮かぶようになり、
何をするときも自信が無い、自分のない性格になってしまったと思います。
自分を信じたり、自分を愛することをやめてしまっていました。
自分を向上させることも。
・・・今は、発達障害から少しだけ距離を置くようにした(専門書を読まない、
リアルでは発達障害者の集まりには参加せず付き合いはそれとは関係ない
本当に一緒にいて楽しい友達や必要な学校・仕事関係の人だけとする、など)
おかげで、少しは明るさを取り戻せたかな、と思います。
自分を知って障害に対処する事ばかりが叫ばれがちですが、障害と
関係なくいられる場、発達障害の事を忘れて自分の可能性を信じられる
事は(少なくとも私個人にとっては)すごく大切だと実感しました。
だって、それがないと本当に「私」が壊れてしまいそうだったから・・・
だから、私は「汝それなり」なんて言葉は信じません。
「それなり」なんて枠を作ってしまったら、また昔の
自分に逆戻りになってしまう気がして。
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