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ネーブルさん、こんにちは。
▼ネーブルさん:
>夏休み、お盆の親戚の集まりは、定型者にとっても「なかなか疲れるわい」
>というものでもあろうと思います。お互い「お疲れさま」です。
そうなんですか!
定型のひととは”会話自体を楽しめる”ことが多いと思っていたので、
久々で気疲れはしても楽しいのだろうな、と想像していました。
>このパターンは誰でも、めんくらってしまいまいねぇ。
>言われた方は忘れて無いですから。
”言われた方(された方)は忘れない”というのも、今回、
定型でもやっぱりあるんだなー、としみじみ思いました。
子どもの頃の悪行とか(笑)、本人はケロッと忘れてるんですね。
でも目撃したひとや被害者は忘れてくれない、と。
>言葉の厳密さにそれほど神経使ってませんからねぇ。定型は。
厳密さというか、定義しないと不安なだけなんですが、私は。
というか、こちらは”友だち”と思ってても、相手がどう思ってるか
わからないから、勝手に”友だち”呼ばわりしていいのだろうか?
とか、考え過ぎちゃうんですな。
>私個人も、テーマや目的の無い会話は退屈で、くだらないと感じていました。
最近、自分の関係でも子どもの関係でも、何か目的がある集まりや
一緒に作業をするとか、そういうシーンばかりが多かったので、
余計に久々の世間話が違和感あったのだと思います。でも新鮮でした。
というか、いかに自分が世間を狭めてたか、改めて気付きました。
>でも、諦めて諦めて、頑張って頑張って・・慣れました。(はぁ・・)
>この・・・意味の無い相手主体の会話って、人生の修行ですね。
>定型者もため息をついてしまう、たまの親戚の集まりの場面・・。
諦めて、頑張っても、慣れるのは、私には、難しいです。
価値観の異なるひととの会話は、連続ジャブ受けてるようなもんで、
そのうちダウンするだろうな、と内心カウントダウンしています。
親戚でも、年寄りの昔話とか聞くのは割合好きなんですけどね・・・。
あと、今の話でも熱中してる趣味の話題などは勉強になります。
しかしなかなかききたいような話にならず、病気の話とか、
昨日食べた物とかで盛り上がるので、口が挟めず、残念でした。
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