|
▼もかかさん:
>こんばんわ、ASのモカカと申します。
はじめまして。中年にさしかかる当事者の女です。自分の10代20代は、世間の求める「女らしさ」に強い違和感を感じてきました。今現在、夫と子供がいますが、やはり、ある種の違和感が無くなったわけではありません。3人以上の集りの中では、そこでの対応に疲れやすくなります。
当時の私の場合、かいつまんで言うと、女らしさには、暗黙の同調圧力に対する、高度な適応が求められているように感じ、建前では、「女<男」と、男性を自分たちよりも有能な存在として、彼らに対しての引き立て役であることが求められることに、強い嫌悪感を感じていた時期も少なからずありました。
それはあくまで、私個人の感覚ですが、自分で「女の子」と自覚することに対して、世間の求める「女の子や女らしさ」に大きな隔たりがあることに気付き、自分の求める「女らしさ」が、いわゆるフェミニズムに近いものに近いと思いつつも、悪いのは、女性を下に見るある種の男達であって、男性全体を敵対視したいわけでもなく、実際そういった女性達が、新しい女らしさという同調圧力をかけているようにも思い、彼女たちの言い分は、結局、女性を下に見る結果になっているのかと、堂々巡りになってしまいます。
「女性」と一括りにされることは、濡れ衣の同調圧力、もしくは、欲しくもない賞賛の押しつけとしか思えません。(個人の感想ですので、不快を感じた方、すみません。)女の体で生活しているだけで、言葉からして、暗に人間としての扱いを受けていない、という怒りを感じる一方で、女としてまともな存在ではない、との矛盾に苦しみました。(この思い切りの悪さが、子供っぽいといわれる所以とは十分承知していますが、中年になってから薄らいだようです。)
>
> 私は物心付いた頃から、自分の性別に違和感を感じて生きてきました。
>思春期の頃は性同一性障害を疑いましたが、自分の外見を変えたい訳では無く、
>自分の中身の性別と、外見上の性別が一致して欲しいという願望だけに
>留まっているようでした。
私の場合は、自分で自覚する「女の子」であることと、世間で言われる「女の子」扱われ方に、大きなギャップを感じてきて、女子特有の数人でグループを組んで行動したり、恋愛がらみや、誰かのうわさ話で、いつもつながっていることが、苦痛で、それで、中学時代、当時としては、青天の霹靂でしかない、仲間はずれに遭い、グループにこだわらない、多くの男子が羨ましく見えました。
> 私は女性なのですが、考え方が極めて男性的で、論理的に淡々と話してしまい
>可愛げがなく。ロボットの様で冷たいとも言われてきました。
「愛嬌がないから合わない」と、私から離れた女子グループにそう言われました。
こちらの掲示板のトップからリンクされていますが、「ペンギンクラブ」の日記の中に「ちょっと変わった女の子」というタイトルで、コメントがありますので参考までに。(既に読まれていたら、すみません。)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~pengin-c/girl.htm
>ここからが本題なのですが、私は加齢と共により一層、思考がロボットの様になってきている気がして、将来が不安です。
>と言うのは、以前は感動して泣く事ができた人情物の映画やファンタジーも泣けなくなってしまい、今では専らSFかノンフィクションばかり好んで観る様になってしまったりするからです。
私の場合、飼い猫が亡くなったときは、ダイレクトに悲しくて、小さな子供のように泣くじゃくり、家の建て替えと重なって、しばらくして幻聴におそわれたことがありました。その後に母が亡くなったとき、そして、結婚し、子供が生れたときに、自分の感情が分からなくてガラス一枚隔てた感覚になりましたが、ふとした拍子に、悲しい、嬉しい、困る、憎いなどの感情が出てきたりします。マイナスの感情を持たないように、とロボットのように考えられることが救いだったりします。
※・・・コメントが長くなりました。質問には、また新たにレスさせて頂きます。
乱文失礼しました。
|
|