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「自閉=コミュニケーション能力の障害」というスタンスの人が多いのですが、少し別の視点から自閉というものについて考えてみました。
(以下に書く事は、私が経験から主観的に感じた事で、世間一般に言われている自閉に関しての公式な見解とは違うかもしれません。)
私の考えとしては、コミュニケーション障害というのは自閉の本質ではなく、あくまでも二次的な問題だと思ってます。
では、自閉圏と定型の人との本質的な違いは何なのかと言うと「自分の知識の範囲外の出来事に対し柔軟に対処する能力の有無」だと思います。
つまり、自閉圏の人の特徴を簡単に言うと「自分の知識の範囲内でしか行動出来ない」という事です。
そして、知識外の行動を強要された時には多大なストレスを感じます。(これが酷くなったのがパニックと呼ばれるものなのかもしれません。)
以前TVで自閉症の特集をやっていて、ある有名な自閉症者が図書館に通って本の内容(住所録とかも)を片っ端から記憶するという奇行を紹介し、その番組のアナウンサーは「驚異的な記憶力だ」というような説明をしてました。
しかし私は、記憶力云々よりも「なぜ記憶したがるのか?」という事にこそ自閉の本質的な問題が隠されているのではないかと思うのです。
では、記憶するという行為は彼にとってどういう意味を持つのか?
それは「自分が存在出来る場所を広げたいという欲求」からだと思います。
つまり、自閉症者にとって自分の知識の範囲内のみが自分が存在出来きる場所であり、知識を増やすという事は自分の存在範囲を拡張する事を意味します。
自閉症者の「常同行動」についてもこの理屈で説明出来ます。
自閉症にとってストレスを一番強く感じるのはどういう時かというと、知識の範囲外の行動を強要された時です。
そのストレスの反動として、自分の知識の範囲内に閉じこもって同じ行動を繰り返しす事により、心を安定を取り戻す行動が常同行動と考えられます。
実際、常同行動は慣れない学校や職場などでストレスを強く感じてる時程頻度が高くなると聞いた事があります。
また、自閉圏の人は仕事が遅い場合が多いです。
自閉圏の人は自分の知識の範囲内でしか行動出来ませんので、実際の作業の前に「知る」という作業が必要で、当然それには時間がかかります。
一方、定型の人は知らない事でも出来るので、知る時間は不要です。
ただ、これはかなり極端に言い方で、定型であっても全く知らない事は出来ないわけですが、出来るようになる為に必要な知識の量は自閉圏の人よりも圧倒的に少ないと考えられます。
つまり、自閉圏の人が仕事でかかる時間の多くは、行動する以前の「知る」という作業にかかる時間で費やされしまうという事です。
最初に出てきた自閉圏の人の抱えるコミュニケーションの問題についても、やはり会話というのはどんな話が飛び出すかわかりませんので、自分の知識の範囲内でしか行動出来ない自閉圏の人にとっては難しいという事になるのではないかと思います。
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