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fuwafuwaさんへ
以前、友人の担当の精神科医に
「40歳過ぎて、仕事からリタイアした彼にとって、わざわざ通うタイプのソーシャルスキルトレーニングは無力ですよ。生活の中で、その都度、家族や周囲の人が注意やアドバイスをすることが一番の自然な療育なのです」
と言われました。
友人の親御さんはすでに80歳に近い高齢で「息子は偏屈な性格」と思い込んでいらっしゃるので、今さら障害という現実を突きつけなくても・・と、私もほかの友人達も知らせていません。
友人が子供の頃は、こういう専門分野も発達してなくて、誰もASや療育的関わりという言葉を知らずに生きてましたものねぇ。
友人はとても理論派タイプなので、こう言えばああ言う状態になり、時々、私とその友人の会話は「へ理屈選手権 決勝大会」みたいになります。
彼が我が子だったら、日々の生活がどれほどのものだろうとおもいます。でも、この友人と対峙したおかげで、fuwafuwaさんのコメントに、首がもげるほどウンウンと頷けたので、本来fuwahuwaさんの悩みや不安やご苦労に及びもつかない私が、なんだかfuwafuwaさんになぐさめられたような・・・上手く表現出来ませんが、ともかく勝手に私の気持ちがマッチしたような気がしました。
不自然かもしれませんが、ありがとうございます、というのは私の方です。
>ネーブルさんへ
>
> ありがとうございました。
>当事者の方の言葉は、すごく息子の世界を理解するのにつながります。ありがとうございます。その40代の方とお話したいくらいです。^^;
>
> 謝る事への必要性や挨拶への必要性...本当に、彼らにとっては不要なものでしかないのですね。
>うう。
>
> 最近は、「君にとって必要とは思えなくても、社会の中で生きていくには必要だから、『ふり』でいいから挨拶、お礼、謝罪をしろ」と言っています。でも、大変不機嫌に・顔も向けずにごにょごにょと「ーはよお」(おはよう)などと言われても、相手はかえって気分が悪くなってしまいます。
>
> うう。。難しい。
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