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▼睡蓮さん:
はじめまして
返信ありがとうございます。
「渦巻きが襲って来る」とか「柔らかいものに押しつぶされそうになる」といった感覚的な記憶については、非常に似たものを感じます。私の場合は、それを思い出そうと必死になりすぎて、ちょっと暴走しているのかも知れないと思いました。
(記憶が暴走する理由は様々です。作り物の記憶もそうして生まれることがあるので、いわゆる「妄想」と区別することが難しいことを、一応心得てはいるつもりです。)
暴走しているような状態の時ははこんな感じです。
ある長いものに「それ」はぶら下がっていて、あやうい、しかし絶対的な静止状態を保っています。静止しているのですが、ゆっくりとしたなにかのリズムが、長い物を通じて「それ」に伝わってきます。ひょっとしたら、「それ」は自分なのかも知れませんが、明確な自我を持たない「それ」が何であるかを判断することは難しいです。
突然、しかしゆっくりとリズムが豹変します。最初に「それ」を見舞うのが、とてつもない恐怖の感情です。「それ」は、自分!?が頭から放り込まれ、空間ごと押しつぶされそうになっていることに気づきます。(押しつぶそうとするものは、時代により、いろいろな形をとります。保育園時代は広場の「バラ線」でした。それ以前はもっと抽象的な「何か」です。大人になってからは、自動車の運転席であることがあります。完全にその時代の環境に引っ張られていますね。)
次に気がつくと、金属的、無機質なもの(金盥のような・・)の中から、「外」を初めて認識します。この時点では、恐怖の感情より、もっと冷え冷えした何か、がつきまといます。
以上のようなものです。
自分でも、やっぱり暴走しているとしか思えません。
自分の記憶が、そうした衝撃から始まるので、テンプル・グランディンさんが言われた、「私には抑圧というものがありません」という言葉に、妙に納得してしまいます。実際、抑圧の対象となるような、より衝撃的な記憶など存在しないように感じているのです。(但し、その言葉の受け取り方が間違っている可能性については、否定しません。また、「抑圧」という問題について、自分で判断を下すことが危険であることも、承知しています。)
細かな情景を再現できるわけではないので、確信を持てるわけがないですし、今まで人に話す勇気は全くありませんでした。ただ、自分が人生を通じて追い求めてきた命題なので、きちんと表現できたことに、満足感があります。
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