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手毬さん、答えの見つかりにくい 答えずらいわたしの質問にとても丁寧にお答えして下さって感謝します。
きっと手毬さんにとっては本当はあんまり思い出したくない過去のことを思い出させてしまったかもしれませんね・・・。でも、娘の思いをやはり少しでも知りたいわたしにとっては、こうして聞かせていただけるのは本当にありがたいです。
>あくまでも私が母にされていた強制について言うならば、マイナスの記憶になりますが、小学生の時に、義務として行っていた学校から帰ってきて、自分の嫌なことをしなければいけないと、お母さんから常に見張られて(1DKの団地でしたので・・・)これでもかと、滅多にほめられることはありませんでしたし、いつも評価(わがまま、言うことを聞かない、おかしい、など)が来ること自体、辛かったです。
「常に見張られている」感覚、わかるように思います・・・。私もへたをすればやっていることもあるようにも思います・・・子供にとっては窮屈ですよね。
気をつけなけりゃならないです。
親側の視点にどうしても傾きがちな自分をおさえて、意識的に子供の視点に戻らなければいけなそうです。
私も焦るとついマイナス評価(おともだちに馬鹿にされるよなど)を与えてしまったりします。
言う方はさほどのつもりがなくとも、言われるほうは傷つきますよね。
>母の場合は、大雑把で、させたいことを細かく指示はしませんでしたが、細かい評価はない一方、常に怒っているとしか思えず、逆らうことは恐い一方、宿題など、しなければいけないことを見ていてくれたことは、有り難いと思っています。今思えば、その時の母は、怒らないで見守ってくれていたのを思い出しました。強制された感覚や、細かいアドバイスはあったかどうか憶えていませんが、しなければいけないことを単にするように、母が促していたと記憶しています。そんな、自分を常に見ている母の存在は、今でも懐かしく、悪い記憶さえ思い出せなければ、有り難かったと思えます。母は、細かいほめ言葉を滅多に言いませんでしたし、その時は強制とは思えませんでしたし、ごく自然に母の言うことを聞いていました。
>
そうなんですね!
「やらなければならないこと」に取り組んでいるときの「見守る姿勢」。
とっても参考になります。
なんだかここに、強制となるか、サポートとなるかの違いがあるように感じてきました。
やはりこのときの口調や言い方も関係してくるでしょうか。
「取り組んでいる最中」に「優しい言い方で」がいいんでしょうね。
>強制された、と思う記憶の中で、有り難いと思える事があるとすれば、私の場合、残念ながら殆どありません。仮にそれが役に立つものであったにせよ、よいものだという利害関係よりも、先回りされての悪い評価に反感を憶える一方、結果的に自分が頭ごなしにされた惨めさと、無力感が残って、折に触れて悪い記憶としてしか出てきません。
>
実は私の主人が、アスペルガー当事者だと思われます。
本人の自覚も今あります。
その主人がアドバイスしてくれていることは、手毬さんの書いて下さったものとほぼ同一でした。
彼が言うには、「強制されても、当人がその気になってないとマイナスになるだけ。ある程度失敗して、それで自覚してからじゃないと(強制的に)教えても変わらないぞ。自分がそうだったから」でした。
親となってたぶん初めてぶつかってる私自身にとっての大きな壁、それが「見守る」なのかもしれません。
娘が傷つくのが怖くて、先回りして、でもうまくいかなくて焦ってるのは私自身。
「見守る」というのがこんなに難しいことだったなんて、まず私がそこを実現できるよう学ばなきゃいけないようです。
主人からアドバイスはもらってはいたものの、やはり男性と女性とでは違うところもあるだろうし、主人以外の他のかたから話を伺いたかったので、とても参考になりました。
ありがとうございます。
>娘さんにとって、お母さんの思いが正しく伝わり、娘さんがストレスや抵抗が少なく、社会性を身につけ、理解して成長されればと、願います。
ありがとうございます!
娘自身の成長をもっと信じてあげなきゃと思います。
親バカですが、本当に優しくて 可愛い娘です。(思ってるだけじゃなくて、娘に伝えなきゃいけませんよね)
手毬さんの息子さんも、あと数年もするとしっかりしてびっくりするほど楽になってくると思います。(ただ、大きくなればなったで、違う種類の心配が出てきたりはありますが 笑)
おたがいに、がんばりましょうね。
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