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自己肯定といえば…。
もう何年も前になりますが、限りなく近いテーマで、私よりも人生の先輩、発達障害の苦労の先輩の方に、教え諭していただいたことがあったんです。
楽しい方だったんですが、今でも恐縮と感謝なんですが、でも、乗りがリオのカーニバルのようなパーソナリティっていうのかな、性格をお持ちの方で、私が分からなくても分からなくても、叱責はされないんですが、同じ言葉、同じ論点、同じ言い方で、かなり長く講義をしてくださる方だったんです。
残念なオツムの私が理解していないことが、伝わっていらっしゃるのか、いないのか、お酒も楽しんでいらっしゃる、善意テンションはあがる、だから、私のASの思考の構造とか、ASの理解力の構造とかにそって構築された言い方にはなりませんでした。
私も今よりもっと他者依存心が強く、理解力も低かったので、差し引いて聞く、とか、置き換えながら聞くとか、足りない言葉を補充しながら聞くとかもひっきり無しで、頭の中で走っても走っても追いつけず、キャパが今よりも小さく、マシンガンな話の進行に何周も遅れを取っていました。
やがて大先輩の調子が(しゃべり過ぎていわゆるトランス状態というのになりかけていらっしゃるのかしら!?)と思わされるような、うまく言えませんが何だか体調?精神状態?の危なさを感じるテンションに、見受けられたこともありました。
遅れを取り戻す補修講義もそんな感じで、代わりの家庭教師代わりになってくれる人もいませんでした。
私を説き伏せると言う作業は、私を義理で縛るか、私の弱みを何か握って圧力を掛けない限り、適度な時間で終わらず、泥仕合になる可能性があることなんだということは実体験で授業料を払いながら悟ってきました。
ろろさんは、いろいろ調節できる賢明な方だと思いますが、でもろろさんにそんな負担はとてもとても求められません。
ちょっと脱線しますが、40歳とか具体的なこと、私どっかに書きましたっけ?
ろろさん、ご自分の情報も、傷と言えることも、言葉にして書いてもらってすみません。
私の方は記憶からでてこないんですが、とりあえず私が少々年上なのに、ぬくぬくといつまでも甘い考えや自己紹介を書くわけにもいかないですよ。
だから、この場合、私はろろさんの人生観や生き方を、全力で尊重し、感銘を受ければいいのではないかという考えに至りました。
私の今のレベルは、私のレベル、引き上げようとしても簡単には引きあがらない、私のレベルでしかないんであり、でもいつか変動する可能性もあるかもしれないという、私にも伸び白があるかもしれないという、そういう理解をすればいいのではないかと考えました。
あー、うまく言えないですね!
でも、私に肯定を、ありがとうございます!何よりの“栄養”です。
おやすみなさい!(^O^)/
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