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▼凪さん、こんにちは。
レスありがとうございます。
>体験談として学校の勉強は実社会で活かせられたでしょうか?
小学校時代のものは、かなり生活の中で生かされているように思います。
何か読むとき・こうしてレスするときは、漢字の知識は必要ですよね。
調理など物を作るときは、量の概念が理解できていた上で、暗算できたほうが便利です。
買い物するときも、おつりの計算ぐらいできたほうが便利ですよね。
ウチの子はその辺がまだまだですし、小学校時代に果たしてそこまで身につけることができるのか、親としては気にしているところです。
一方下の5才児は、その辺りまでは問題ないと感じています。
子どもの能力はある程度早い時点で見えてくるので、いろいろ心配しています。
>進学できなければ人並みの生活、ひいては就職できないではないか。
>と過度にお考えになられていませんか?
人並みの生活をさせたいという発想をしたことがありませんでした。
不登校や就職できないことを考えることもありますが、その場合学力の問題より、二次障害の問題になってくるのでは?と思います。
子どもの様子を見ていると、二次障害はかなり心配です。
二次障害が出てしまったら、不登校や就職できないこともやむを得ないと思っています。
そのほうが心配なので、進学と就職を結びつけることまでは考えてませんでした。
>私の経験上、学校で学ぶ大きな物は集団生活への適応、延長線上にソーシャルスキルがあるような気がします。
>その上で個性・長所を生かせる分野を探す。
>学校で楽しいのは授業の内容が分かることより授業以外の時間を楽しく過ごせること。
>私には縁の無かったことですのでなんともなのですが、多くの方はそう思われているんじゃないかな、と勝手に想像したりしています。
私の場合、小学校は、「勉強しに行くところ」だったんです。
授業をマジメに聞く、大人しい子どもでした。
息子もそういう意味では似たようなタイプです。
授業はマジメに聞いてるようなので、理解できなくなったら、その分授業が楽しくなってしまうのでは?と思ったのです。
自分の子ども時代と重ね合わせて、考えているのかもしれません。
中学以降も、私にとってはまず勉強しに行くところ、だったような気がします。
小学校時代には、それほど楽しい記憶は残ってないですが、中学以降は楽しい思い出と言えば、たしかに勉強以外のことばかりですね。
私自身にも、発達障害の傾向があり、特にADHDの傾向が強く、社会に出てからは苦労し、何度も転職を繰り返しました。(物忘れがひどい、整理ができないなどのことが仕事に影響し苦労しました)
小学校時代には、イジメを経験したり、人見知りだったせいか軽い場面緘黙に陥ったこともあります。
それでも、社会性にそれほど大きな問題はなかったのでしょうか、中学生以降は地味で大人しい子でしたが、社会性や対人面の問題で苦労したことはほとんどなかったように思います。
たしかに、おっしゃるとおり「学校で学ぶ大きな物は集団生活への適応、延長線上にソーシャルスキル」は発達障害児者には必要だと思いますが、定型発達者にはそれほど重要なことではなく、やはり基礎的学力を身につけることのほうが大事ではないか、と思っています。
定型者は、ほとんど苦労することなく、社会性を身につけることができるからです。
その辺に、定型者と非定型者の大きな違いがあるように思います。
私自身も、集団生活への適応を学校時代に意識したことはなかった、と思います。
もちろん、無意識の中には、集団生活に適応しようという意識はあったのだと思いますが…。
ウチの息子の場合、発達障害を抱えている割には、比較的社会性はあるように見え、そういう面では将来的にもそれほど心配していないのです。
なので、つい、ソーシャルスキルよりむしろ基礎学力を、と考えてしまいます。
>「勉強ができなければバカにする子が出てきます」
>とお書きになってますが、他の子が勉強出来なかったらお子さんはバカにしますか?
>言い方きついですが勉強できないからとバカにする子がバカって教えても良いと思うんです。
そうですね。
ウチの子は多分バカにはしてないと思います。
バカにされたら、バカとは教えてませんが、「そういうことは言ってはいけない、そういうことを言うほうが悪い」という話はしますし、それは理解していると思います。
ただ、当人は自分のことを「バカだから」とか「何にもできない」などと言うことがあるのです。
なので、コンプレックスをこれ以上強化しないためにも、少しでも勉強ができるようにさせてやりたいと考えています。
>もし仮にある児童が勉強が出来ない、運動が出来ない、何かが出来ないと言う理由でバカにしているのを見た際、その子を叱れますか?
人をバカにする以外のことでも、注意ぐらいは割とよくするほうだと思いますが、わが子以外の子を叱った経験はほとんどないですね。
親同士のつながりうんぬんのことはあまり考えないですが(小学生になったら相手の親の顔すらわからない子のほうが多いくらいなので)、相手の子とある程度信頼関係がないと、きつく言っても相手の子は不快になるだけで、聞く耳を持たないのでは?と思うのも1つの理由です。
場合によっては、褒めたり注意したりするほうが、特に他人の子の場合は有効な場合もあると思っています。
愛情や信頼関係が成り立ってないと、叱責はなかなか効果がないように思います。
>私の経験上おとなしいor元気な勉強の出来ない子より、勉強が出来て問題を起こす子のほうが学童期・思春期に強烈ないじめをされると思います。
>何となくですが学業というより情緒面のサポートにやや比重を置いた方がのびのびと育ってくれる様な気がしました。
そうですね。
対応に困ってるのが学習面なので書きましたが、実際には、家庭学習は最近は宿題を自分でこなす程度になっており、私が勉強を見ることはここのところほとんどありません。
一番の理由は私が勉強を見るとパニックになり、子どものストレスになるからです。(子どもだけじゃなく私のストレスにもなるんですが)
その一方で、勉強は授業を理解できる程度にできたほうが情緒も安定するのでは?と思っています。
親が教えられない、学校の勉強だけで基礎学力を身につけることが困難な子なので、いろいろ苦慮しています。
勉強・勉強と書いてきましたが、中学以降はかなり親の手から離れていくだろうと思っています。
中学生になったら、親の言うことを聞かなくなるのが当たり前ぐらいに考えています。
中学校に入ってから、子どもの勉強に口出ししようとは、今のところは考えていません。
教育もしつけも療育も、いろんな面で親が手をかけられるのは、小学生時代までかな?と考えています。
>何処の大学を出ようが高卒だろうが中卒だろうが、社会に出てみればそれ程問題ではない。
そうですね、同感です。
でも、やっぱり小学生相当の基礎学力はあったほうがいいんじゃないかなあ、というふうにも感じるんですよね…。
>それでしたら情緒が安定し好きな道に出会えているほうが本人にとって生きやすい人生になるような気がするのですが…
私もそう思います。
ウチの息子の場合は、今からできること・好きなことを見つけなければなりません。
ウチの息子の場合は、社会性や学習面の問題以上に、そのほうが難関ではないか、と感じています。
将来何をどれだけできるかわからないので、保険的な意味も含めて、とりあえず基礎学力ぐらいは…と考えています。
>お気に障る内容でしたらすみません。
>(読み直して確認していますが傷つける内容でしたら謝りますので仰って下さい)
いえ、大丈夫です。
凪さんとお話できてよかったです。
ただ、凪さんとウチの子はちょっとタイプが違うのかも、と思いました。
凪さんはあまり勉強面で苦労されなかったのではないでしょうか?
ウチの子は、同じ発達障害を抱えていても、言語性が高く比較的素直なので、今の時点では親の言うことをすんなり理解することができ素直に従おうとする子です。
そのせいかどうかわかりませんが、社会性については大きな問題は出ておらず、将来的にもあまり心配していないのです。
心配なのは、それ以外の学習面を含めた能力の問題や情緒面のことで、二次障害のことも気になっています。
そんなこんなで、日々心配が絶えない中、心のケアや将来のことを視野に入れて、試行錯誤しています。
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