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▼ぬいさん:
はじめまして。 家族にAS傾向の者がおります。 たぶん、ぬいさんの親世代のものです。ですから、親としての「お節介」視点なのを許して下さい。
結果を待っているときは、とても不安になりますね。
ASかどうか?にかかわらず、宙ぶらりんで待たされるのは辛いものですね。
でも、せっかくですから、待ち時間をアスペルガーや発達障害について、理解を深める事に費やしてみてはいかがでしょうか?
よく言われるように、発達障害かどうかというのは、境界があるわけでは無いのです。 周囲の環境・文化のあり方によっても変わってしまうような連続した概念なのです。
そして、とても広くとって、「気になる」ぐらいの方を含めるならば20%〜5人に1人ぐらいは何らかの配慮をしながら教育をしていった方が望ましいとも言われています。
アスペルガーという診断名をつけるという程度ならば、ずっと減って1.0%〜100人に1人程度というのが、少し多めの数値だったかしら。
「社会生活に支障があるかどうか」が、診断をだすかどうかの分かれ目になったり致します。
ですから、同じ方がA医師とB医師に診断をお願いしたときに、A医師がASと診断しB医師が違うと言う結論を下す可能性もあります。
この時に、A医師に「自閉傾向が強いですか?」と尋ねれば、「さほど強くない」と言われ、B医師に「AS傾向は無いのでしょうか?」と尋ねれば、「確かに自閉傾向と共通する困難は抱えていると思うけれど、適応できているから・・・・・・」と返答が来るかもしれません。
ぬいさんを混乱させてしまったでしょうか?
ええと、「ASかどうか」という結論だけに注目して欲しくなかったのです。
どうしても、「ASなのか、違うのか」という事が気にかかるけれど、そうではなくて、「どのような点で、ASだという診断が出たのか? あるいは、違うとう診断が出たのか?」という事を丁寧に説明して頂くことが大切だと伝えておきたかったのです。
だって、病院に診断を受けに行こうと思うに至る「諸事情」があったという事実があるのですから。
AS傾向が認められるとしたら、「諸事情」を解決する手がかりになるのなら(診断名が出ない程度の軽度であるとしても、)ASについて理解することは ぬいさんに役に立ちます。
逆に、AS傾向が殆どないということであれば、ご自身で感じた「諸事情」を抱えるに至った原因について、引き続き医師から意見を聞いてみる事が大切だと思います。
せっかく、様々な検査を受けたのですから、ご自身の特性を客観的に受けとめてみることも大切だと思います。
「診断結果」の「ASかどうか」にあまり囚われず、「今後、どのような対応をしていくことが、自分の生活を豊かにするか?」という視点で、診断結果を受けとめられたら良いのでは?と、感じております。
話が変わりますが、もう一点気にかかりました。
>通院の事を信頼できると思っていた二人の友人に話しました。
>一人の子は「そう言う病名が付いたってぬいはぬい」と言ってくれましたが、もう一人の子には「病気に甘えているだけ」と言われてしまい、その後連絡が途絶えました。
連絡の途絶えた方についてですが、このような問題を今まで真剣に考えた事が無かった時には、こころの準備ができていない状態で、ぬいさんから相談を受けたなら、驚いて傷つける表現をしてしまったのかもしれません。 そして、自分でも失敗に気がついて、連絡を取りにくくなっているという可能性もあります。
>「甘えているだけ」という表現の裏には、
「私には今まで病気だとは感じられなかった。そんなに友達が悩んでいたことを気がついてあげられない私は何だったんだろう?」という無意識の自責の念が隠れていたりすることもあります。
相手の方も、決して「完全無欠」な方では無いのです。
だから、一度の乱暴な発言があったとしても今から「絶交」と決めつける事は止めてみませんか?
気持ちが落ち着いたあとで、ゆっくり話し合ってみたら良いと思います。
甘えだと言われてショックを受けた事も伝えてかまわないと思いますよ。
せっかく、今まで信頼してきた方なのですから。 ぬいさんご自身の「信頼してきた」という気持ちを、もう一度信じてみても良いと思います。
それでも、話が通じなかったら、少し距離を置いてみたら良いと思います。
いきなり絶交はお互いに勿体ないですよ、だぶん。
>「わざわざ自分を病気にする必要はない」
確かに、わざわざ自分を病気にする必要はないです。
(なお、ASは病気では無いですけれどね)
でも、診療を受けることは病気になる事ではないですよね。
自分を知ることは、より良く生きていくための手がかりにすることもできます。
さまざまな検査を受けた事を、今後に活かして行けば良いと思います。
医師は、ぬいさんに 「うつ」や「不眠」・「強迫」などの精神症状が併発していれば、それを治療して下さいます。
でも、医師も心理士も、ASをはじめ発達障害そのものを治療することはできません。
障害特性によって、しばしば抱えがちな困難を解決する方法を一緒に考えてくれるだけです。
社会と折り合いをつけて生きていく上での手がかりを与えてくれます。
心強い味方となってくれるのです。
だから、診断を受けることは病気になることではなく、「味方」を見つける事でもあると私は考えます。
長文になってごめんなさい。
どうぞ、ASであっても違っても、せっかくの検査です。 どうぞ、結果を「結果が出た」で終わりにしないで、今後にいかしていくことで、意味のあるものになさって下さい。
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