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はじめまして。kazeと申します。
未診断ですが、発達障害の当事者です。
私は息子もアスペなので、色々な本を読んできましたし、これからも読んでいくと思いますし、講演会などもいくつも聞いてきましたが、
自分に照らし合わせても、息子に照らし合わせても、
『人の感情を読み取れない』『人の気持ちが分からない』等の表現に関しては、少し異質なものを感じてきました。
私は、子供のころ『うれし泣き』とか『別れの涙』というものが、全く理解できませんでした。
泣くのは『悲しい時だけ』だと思ってきましたし、『別れの涙』にしても、いつか会えるかもしれないじゃないという思いがあって、何故泣かなければいけないのか、全くといっていいほど理解できませんでした。
そうした私を母親は、『お前には人の心が無い!』と言ってきましたが、私の中では、喜怒哀楽は確実にありました。
しかし、その場面で適切な喜怒哀楽を出せなかったのは、『インプットされた情報』というものが、ブレーキをかけていたからだと今は思っています。
ですから、今の私は昔より遥かに、感情や場面によっては泣く事もありますし、その意味も理解しています。
そうやって考えると、『思い込み』や『インプリント』された情報によって、場面で感情が発露できない、
または、その情報によって、融通が聞かない特性を持っていると考えます。
特に、人の死による悲しみなどは、その人それぞれの主観が物を言うと思いますし、ましてや、泣かなければ悲しくないという事でもないと私は思います。
人の心は、誰にも覗くことができません。
だからこそ、表層に現れた行為で判断されるのでしょうが、そうした判断はとても残念だと私は思います。
そういう人もいるという事を、念頭に置くだけでも、理解できずとも『受容』していく事は可能ではないでしょうか?
また、障害に渡ってそういう人もいれば、そうでない人もいるという事を、強調された著書等も必要ではないかと思う事もあります。
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