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ジャーナリスト品川裕香さんの書いた記事をご紹介します。
> 取材をしていて強く感じることの一つに、「発達障害の勉強をたくさんしたからといって、子供や当事者たちが何をどういうふうに困っているのか、形式的にではなく実質的に理解できるとは限らない」ということがあります。(下記に続く)
アスペルガー症候群の息子が学んだもの
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080527/edc0805270753003-n1.htm
場にそぐわないのは、独特の考え方ゆえhttp://sankei.jp.msn.com/life/education/080603/edc0806030821005-n1.htm
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子どもの支援をする立場に立ってみると、この記事に出てくるお母さんのようなステレオタイプの”思い込み”や、誤まった”解釈(心理の分析)”を、自分も子どもに対してやっていないか、ときどき不安になります。
教育の戦略を立てる上で、ある程度の推測は必要かもしれませんが、なるべく支援者側の価値判断が入り込まないようにしたい、と気を引き締めています。
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自閉者の立場からすると、この記事に出てくるような、場にそぐわない行動や表現をとってしまい、それを”深読み”されて驚いたり、自分自身でも周囲から評価されるように冷血だとか変人と感じて、自己責めに陥った経験は多々あります。
この記事のお母さんのような、情緒的に定型発達と同様のレベルに達してほしいという希望は、計り知れなく遠い道のりのように感じます。
いえ、そもそも定型発達の情緒的な感受性や処理方法に合わせる必要はあるのか、という疑問を抱いてしまいます。
自閉者にも情緒はあります。
ただ、感じ方や表現方法が、非自閉のひとびととは異なっているだけだと思います。
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支援者の立場のかた、当事者の立場のかた、みなさん、どう思われますか?
相互の理解ということは、果たして可能なのでしょうか。
また、どうしたら可能になるのでしょうか。
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