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▼笛さん:
管理人の秋桜です。
笛さんの書き込みで気になったことがありました。
>定型発達の人々は素晴らしい機能があるのですね。実感としてはわかりませんが、「違い」を受け入れる素地が拡大する(?)ように受け取りました。
笛さんは定型発達の人と自閉症の人の違いを強調されていますが、やり方次第では自閉症の当事者であってもコミュニケーションの能力などは発達していく要素だと思います。
私も夫も一緒に暮らし始めてからずいぶん違いに悩みましたが、「違い」を受け入れられる素地は広がったとお互い感じています。
また、療育について
>療育は早期に始めなければ効果がありません。本人の意志に関係なく子供に施されるトレーニングです。
>ですから、トロイメライさんがお書きになった上記は、親御さんの意志です。
>将来自閉症のお子さんが社会で生きて行きていけるようにと親御さんがお子さんに受けさせるものです。
>成人になってからは寮育は出来ません。
と書かれていますが、私は成人になってからでもある程度は療育は可能だと考えています。
私の母は20歳以降に心理学の勉強をして自己分析の能力を身に付けました。それで私や姉を育てたという実績があります。
夫も私と暮らし始めてから私という人間と深く関わるというある意味自閉症の人にとって最も苦手なことをしています。彼は受け身+孤立型のタイプですから決して楽ではないとは思います。でも彼なりに努力はしていますし、成果は着実に出ていると私は見ていて感じています。職場の人たちに家でやっていることを話すと「まさに療育的な関わりですね〜」と言われたことがあります。
私や夫がコミュニケーションをするのはトロイメライさんが書かれているような理由もあると思います。
>>自閉症者の方たちが慢性的な抑圧と感じることは、「本来の自分」では生きていけず、強制的に療育やトレーニングをする必要があるということでしょうか。定型発達の人達が多い世界で生きずらいからそういったものを矯正するということよりは、人の気持ちを理解するということを理解し、少しでも他者とスムーズなコミュニケーションを図りたいから・・・という積極的な理由ではないのですか?
私自身は最近色々な職種の人とお会いして仕事をしていくのはとても楽しい事だと感じています。私一人では到底できないことが人とつながっていくことで化学変化のように形になって表れていくことはことばでは言い表せない充実感を覚えます。
私がなんだかんだ言って仕事を続けているのはこのような充実感があるからでしょう。ここの掲示板を管理できるのもここの場所で多くの人が意見の言い合って交流しているのを見ているのが楽しいからこそだと思います。
確かに自閉症のために難しい事はありますが、それがすべて自閉症のせいだとは私は考えていません。
夫も私も自閉の要素を持っている人間なので、お互いかなり譲れない部分はあります。それが笛さんのおっしゃる「本来の自分」というものだと思いますが、それを持ちつつもお互い意見を出し合って妥協したり納得したりできるギリギリのラインを見つけて生活しています。
私と夫では私の方が頑固で気分屋な面が強いので夫に譲ってもらっている部分は多いです。夫も趣味のことはこだわりがあるのでそこは我慢できる範囲なので譲っています。
こだわりの質と量においてどうしても自閉の人が妥協せざるを得ない面が多いと笛さんはお考えなのかもしれませんが、案外定型の人も黙って妥協しています。
また逆に定型の人だって妥協しないで自分を通して成功している人もいます。この辺は自閉症の人だろうと定型発達の人だろうと変わらないと私たち夫婦は考えています。
私も心理学科へ進むことやShinyuと暮らすことは最初親から反対されましたが、「絶対必要だから」と自分の意思を粘り強く伝えて実行しました。結局は自分の人生なのだから自分で決断して一番やりたいことを選んで進むのが一番納得がいくと私は自分の経験から感じています。
やりたいことをする上で障害があってもきちんと向き合ってその時の自分にベストな方法で解決していくことこそが自分の幅を広げることになっています。
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