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▼ラルゴさん:返信ありがとうございます。
>>また、子供に遺伝する可能性があることを改めて覚悟させられました。
>>もし子供に何かあったら100%私側の遺伝です。
>そんなに思わなくてもいいですよ。
そうですね。
大切な子でもであることには変わりないのですものね。
母を受け入れてあげることができていれば、子供に対しても見守ってあげることができるような気がします。
>うちの母の極端な言動は、「障碍」と言うよりは、「生育歴」と言うか「人生のめぐり合わせ」に大きな原因があると思っています。母は、父母(私にとっての祖父母)を早くなくし、その後夫(私にとっての父)を40歳代で亡くしました。
>母の、持って行き場のない怒りや疲れが、私たち子どもに向いたと感じています。
ラルゴさんは、お父様を早くに亡くされたのですね。
お母様もハンデを抱えて子供たちを支えるのは本当に大変だったと思いますが。
様々な要因が絡み合い、ラルゴさんとお母様の関係が悪化してしまったのですね。
ガスの抜け場がない(フォローに回る人がいない)密室の環境を想像すると息が詰まる思いです。
私の母も父に対するストレスを全部子供(私)に向けていました。父の悪口を私にするのもその表れだと思います。また、自分より弱い者や劣っている国について非常に差別的な発言を日常的に繰り返してしまうのも家庭内のストレス解消方法の一つになっているのだと思います。この発達障害はストレスを解消するのが得意ではないとどこかで読んだことがありますが母もその通りだと思います。産後1か月の間私は母に怒ってしまうことが多く、その母はそのストレスのはけ口を赤ちゃんに向けていました。オシメを替えながらなんと私の愚痴をいっていたのです。驚いたと同時に私にもそうしていたのだなと悲しくなりました。こんなに幼い何も分からない子を自分のストレスのはけ口にするなんて。
「赤ちゃんに向かって愚痴いわないの!」
と私は穏やかに言い、絶対子供を預けたりすることはできないと思いました。
>私が結婚し、弟夫婦が別居した時、母はドッと老け込みました。そして、これまでとはうって変わった「過干渉」が始まりました。弟夫婦が見かねて、同居するまで、母の「異常な問題行動」と言うより、「激しい反抗期」は続きました。
「過干渉」・・・。母も私に酷かったです。食事中たいていは父の悪口だったのですが、それ以外は、「次にお味噌汁のみなさい。」「ひじき食べたら?」「サラダたべなさいよ。」等、食べる順番まで干渉していました。
家を離れた理由の一つでもあります。
>息子に言われたことがあります。
>「お母さんは、おばあちゃんのお母さんみたいにしゃべるね。ヘンだね」
>そうなんです。私はいつの間にか、母に命令口調でしゃべっていました。
>「お母さん。感じ悪いよ」と息子は言いました。
そうなってしまいますよね、分ります。母によく言われます。「どちらが親かわからない。」「あなたの言い方は命令口調だ。」
そして、
「あなたには本当振り回される。」
と・・・。母は自分がみんなを振り回していることに気づいていませんでした。
>息子も散々なことを言われてきたのに。息子は公平です。母から電話がかかってきたら、嫌がらずに出ています(私は居留守を使うことがあります)この子がいて、私は少しマシな人間になれるかなぁ。
優しいお子さんですね。きっとラルゴさんが息子さんに優しくされているからだと思います。うちの子も優しい気持ちを持つ子供に育ってくれたらいいなあと思っています。
>>今後の母についてはすべて父に任せるべきか・・・。
>>私は動かない方がいいのでしょうか。。
>きっと、どちらでもいいんですよ。
>あなたの大事なダンナさんに、了解が取れてさえいれば。
主人に話したところ、行動するならば私の父に了解を得てから行動すべきとのことでした。でも、発達障害だと診断されたところで、父の母に対する優しい態度はもう変わらないのだからもう受診しなくても良いのでは?とも。
また、昨日他県に住んでいる兄弟にも電話で母について初めて相談しました。兄弟は、母が女学校卒で社会にほとんど出たことがなく田舎出身だったため、変わっていると思っていたようです。ただ、物すごいこだわりは強いとは感じていたそうです。母のことについて兄弟と情報を共有できたことにホッとしています。結論は、主人と一緒でした。もう一人の兄弟には、母の発達障害についてその可能性が高いと私から話せばよいのではと。
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