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▼クロムさん:
>アスペルガーと言われている20代後半の女です。
こんにちは。 PDD圏の者の親です。
>「私は人からどう見られているか考えることができるから、アスペルガーではないのではないか?」
このことについて、私が家族をみてきて感じているのは、
周りの人がどのようにみているか、感じしてるか?
を、「考えずに共感できて分かってしまう」のが、「ふつう」で、
「意識して」「考える」ことでわかるのが、「アスペルガー的」
と理解しています。
(典型発達の人でも、周囲に気を配る方と、周囲をあまり気にかけない方があるように) アスペルガー者であっても、
周囲に張り巡らすセンサーの感度が高い「敏感な」人と、
周囲の反応対しての感度が高くない「気がつかない」人とが
いると思います。
周りの人と感性が共通な場合には、周りを気にかけなくても「浮く」事は少ないですが、周りに人の見方と、多少の差がある時には、その部分を、「考える」という能力で補わないと、「何かが違う」ことになりがちです。
だから、「考えて」理解をするのです。
そして、周囲を見る能力が「敏感」なタイプの人では、その「考える」という行為は、本当に幼い頃から積み重ねてきて、無意識に近い行動になっているケースも有るのだと思います。
クロムさんの、まわりの人たちの物の見方を「考えて理解」する能力は、とても優れた物になっているのでしょう。
でも、多くの人たちは、そもそも「考える」必要がずっと少ないのです。
少し誇張した言い方ですが、多くの人にとっては、
「まわりと同じように感じているから考えなくて良い」のですから。
感度の高いアスペルガー者では、周囲の多くの方の感性と、自分の本来の感性とには、ほんの僅かにズレが有ることに小さい頃に気が付いてきたのだと思います。
周囲に合わせて「考えて」修正をすることに、能力の一部が「常に」取られている状態で生活をしているのだと思うのです。
だから、とても疲れやすくて当たり前だなあと。
余分な荷物をいつも背負っている状態だから。
まわりからみたら、あたりまえに「ふつう」に生活しているように見えるし、自分でもそれが「ふつう」になっているのでしょうけれど。
でも、多くの人にとっての「無意識な共感」が、「考えて獲得している考えの結果」だという大きな違いが内面には有ると思っています。
つまり、「自分の感じ方そのまま」の普通の人と、「努力して、考えて、同じにしている」少し感性が異なる人の差です。
私は、その「差」を「あるがまま」に、こどもが受けとめてくれればいいなあと願っています。
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