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ごめんなさい、ちょっと混乱しています。
このスレッドは当初、mayoさんの
> ほかにどんなことが「不可解だ」と感じていらっしゃいますか?
という笛さんへの質問に端を発していると思い、それに対して私としては
アスペルガー当事者の立場で「井戸端会議が不可解です」と応えました。
それに対してmayoさんからは
> 「有意義」とまではいきませんが、情報交換の場としてそこそこ役に立ってるかなーという気がするのですが……。
> めえめえさんは井戸端会議に参加されないんですか? 参加するけど、「無意味な
> 時間を過ごしてるなー」と思いながら話を聞いている感じですか?
また、明子さんからは、
> 定型発達の人は、おそらく井戸端会議や世間話から、視覚・聴覚・嗅覚をフル作動させて、膨大な情報を得て、なおかつ、膨大な過去の情報とすり合わせて、自分なりの判断をしてるんじゃないかな?と思います。
とお返事をいただきました。
私は、「自分としては情報がオーバーフローするので苦手である」体感は
(かなり突っ込んで自身をさらけたような気がしてるのですが)書きました
が「井戸端会議が無意味」などとは書いていません。
また、定型発達の人が井戸端会議や世間話から情報を得る方法について
本などの知識を通じて理解できますし、否定したつもりは全くありません。
ただ、たとえば生まれつき極度の弱視でその世界に生きている人に対して
目が見えるのが無意味だと思いますか?とか、目が見える世界はこのように
できています、といくら言われても、弱視が治るわけではないでしょう。
弱視の世界には弱視なりの見え方(文化)があると言っているだけなのに、
なぜ目明きの世界では、と言い募られるのかがわかりません。
こういうことを書くと、また自閉者の「こだわり」とか「被害的に受け止める
傾向」とか決め付けられるのではとイヤなのですが、
自閉者としての書き込みを率直にしただけなのに、「被害的」に反応している
のはどちらなのでしょう?と言いたくなります。
「あー、そういう文化もあるのね」と受け止めていただけませんかね。
また、
> 同じ生活圏で生きている人=自分とだいたい同じ価値観を持っていると考えて
しまうのはしかたないかなという気がします。
というのは、私にとっては、正直言うと非常にショッキングです。
自閉者より一般化の困難さがない、また他者視点ということができるはずの
定型のひとが、外国に旅行して異文化に触れてもそれほど驚かないのに、
もっと身近に価値観の差や異文化があった場合、その異なる価値観、文化の
持ち主から見れば、自分も異文化の中にいる(そして互いに尊重しあう
ことができる)という演繹ができないのでしょうか。
あるいは、それほど定型者の世界は”あいまいさ”に満ち溢れている
ということなのかもしれませんが、だとしたら自閉者のものの見方を
知りたいなどとおっしゃる理由がわかりません。
それだけの”あいまいさ”を泳ぎぬけるスキルがあるのでしたら、
ことさらに自閉者の異文化をこれと問い質さなくても、”あいまいさ”の
内に包括して理解できるのではないでしょうか?
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