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▼ぱんだねこさん:
コメントをありがとうございます。
ぱんだねこさんの書き込みを読んでいて思い出したことがいくつかあります。
実は私の両親もぱんだねこさんと同じような家庭環境で育ちました。私の母方の祖父母はどちらもアスペルガーの要素が強い人たちでしたし、父方も発達障害の傾向があります。
そのため両親とも祖父母の「家庭内ルール」に振り回されて育ったせいか、社会に出てからかなり苦労したようです。特に母はそういった価値観の混乱を整理するために心理学や精神分析の勉強をしたそうです。
母方の祖母とは一時期一緒に暮らしていた時期があったのですが、自分の思い通りにならないとマイナスのエネルギーを周りに振りまいているような人でした。
両親や私が「そういうことをしたら相手が傷つくんだよ」と言っても彼女にとってはそれは当然の権利であり、自分の思い通りになることが周りの人の使命だという人だったので通じなかったです。その後身体が弱って介護施設に行ってからも母は定期的に通ってフォローに回っていたようです。
母にしたらかつて苦労を強いられた人の面倒をみなければならない、という葛藤にかなり悩まされたようです。最期の方は義務感でやっていた面もありました。
私が当事者の方の話について「客観的に見ることが大切」と書いてしまうのも祖母と母の葛藤を見てきたこともあるのかもしれません。祖母の視点だけでも母の視点だけでも本当の問題点は浮かび上がってこないのです。
あと、以前読んだ松兼功さんという脳性マヒの方の著書「お酒はストローでラブレターは鼻で」の中で「多数派から少数派への差別を考えると同時に少数派から多数派への差別についても考慮する必要がある」という指摘を卒論の担当教官からされてハッとしたという記述を思い出しました。
当時私は小学校高学年〜中学生という時期だったので意味はよく分からなかったのですが、成人後このことばの意味を痛感しています。
この掲示板が色々な意見が出つつもお互いの立場を尊重できるものになってほしいと、願う理由を思い出すきっかけを作っていただき、ありがとうございます。
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