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さて、かつて”直言居士””瞬間湯沸し器”の異名をとった私ですが、
現代であれば間違いなく「KY」と言われたことでしょう。
では「KY」と言われたときはどうしたらいいでしょう?
まずは、秋桜さんも同様のことをおっしゃってますが、
「言動を批判されても、人格を批判されたわけではない」ということを
キッチリ自分に言いきかせることです。
この区別ができるようになって、私はずいぶん救われました。
たとえば”変な人”と言われても、それは私の言動(外から見える表現方法)
が”変”なのであって、人格が”変”と非難され排除されてるわけではない
と分かれば、単純に「この表現方法はやめよう」と学習すればよいのです。
実は、定型発達であろうがなかろうが、言動批判と人格批判の区別が
できてない人は、大人でも、社会人でも、意外と多いようです。
でも、整然とした論理ならかえってパターンとして受け容れやすい
自閉系の脳には、むしろ言動への批判と人格への批判を分けて考えることは、
理解しやすいのではないでしょうか。
もうひとつは、上とも関わるけど「悪者探しをしない」ということです。
人間関係で傷ついたりつまづくと、大変、心身ともにつらいですが、
往々にして、互いに善意のつもりでも行き違いということもあるようです。
誰か・何かを悪者にすれば、自分/相手という悪者を責めるという形で
気持ちのおさまりはつくかもしれないけど、行き違いという問題自体は
いっこうに解決しないでしょう。
「KY」と言う相手に対して、「KY反対!」と対抗するのでは、
結局は相手のしてることと同様で裏返しなだけで、安直な”KY批判”に
対抗する、安直な”非KY(定型)批判”になってしまわないでしょうか。
せっかく「KY」という特性を持っているなら、これを逆手に取って、
敢えて空気読まずにサラッと「そうなん、実は空気読めなくてサ」と
言ってみると、意外に教えたがりの誰かがその場の空気を解説して
どうすればよかったかまでタダでコーチングしてくれる場合もあります。
「なるほどね、ありがとう」と言って、経験値にしてしまいましょう。
あるいは、自分も悪くない相手も悪くないけど、タイミングが悪かった、
と、自らタイムアウトする技術も習得しておくと、問題と自分との間に
距離を置く訓練になると思います。
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