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▼PAOさん:
こんばんは。
返信ありがとうございます。
>クロムさんは担任の先生に、自分が誤解されていると思われているようですが、私はクロムさんが先生を誤解しているように感じました。
>それは、先生が仰った「いいから、いいから」を「障害だから仕方がないと受け流された」と感じたことです。
>この場合の「いいから、いいから」は「もう気にしなくていいから」という意味だったのではないですか?
今日、結局、あの時の状況を全部話して、誤解されたと感じたことも丸ごと伝えてしまいました。
でも今PAOさんの文章を読ませていただいて、
どうやら先生は、PAOさんのおっしゃるような受けとめ方だったと思いました。
分かったのは、この件は先生にとっては些細なことで、私にとっては、ずっと続いていたことだったということです。
先生は、PAOさんの書いておられるように、ほとんど、気にしていなかったと言いました。私がずっと頭の中に記憶を持ち続けてしまうことも知っているので、
「誤解をといて楽になるのなら言えばいい」と言ってくれました。
「自分も誤解されたと思うと弁解したくなる」と、フォロー?してくれました。
>クロムさんが言いたいことがたくさんあったように、本当は先生にも言いたいことはあったかもしれませんね。
>けれど、先生は専門学校の先生であって親や友達ではありませんから、そこで責めたり叱ったりはできません。
>そして先生は、クロムさんのことを他の人と同じ学生の一人として見ているからこそ、「(もう気にしなくて)いいから、今日のレポートちゃんと出してね。」という言葉に繋がったのだと私は思います。
私は、「人は表出していることとは違って、本当はどう考えているか分からない」という理解の仕方がまず最初にあるので、猜疑心が強いと思います。
本当はどう考えているのか言わせたいと強く思ってしまう。
それで最悪の結果を予想します。
「本当はあなたのことを死ねばいいと思っている」と言われると、一番安心できるかもしれない。
これ以上の存在否定がないから、本音とわかるからです。
このせいで、被害妄想的なのかもしれないです。
先生の立場になったことはないので、担当の子に発達障害の人がいても同じに見られるのかわからにのですが、
でも、PAOさんのこの例を読むと、本当に、ただ、学生の一人だったのかもしれないと言う気がします。
分かりやすく説明してくださって、ありがとうございました。
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