|
▼クロムさん:
>私はオープンにしたことで、「もうなにをしても精神に問題のある人というフィルターで見られて普通の人のようにはあつかってもらえないだろう」と思ったり、逆に「どこが障害なんだ」「都合がいいときだけ障害を持ち出してくる」と思われているんじゃないか、という考えが振り払えなくなりました。
>それで、障害の印象を強めないようになるべくミスをしないように気をつけています。それなのに、年齢が他の学生より10歳近く上にもかかわらず年相応にできなくて、自分的にあってはならない行動を起こしてしまう。
僕も26のときに『ASの疑いあり』ということをいわれて以来、そういった疑心暗鬼さにつきまとわれています。
>私が被害妄想的でしょうか?
いや…人間なら誰にでも、そして人生にはあまたにある『失敗』という体験の後の無力感が、やや強めに出てしまっただけだと思います。
>それとも、ある程度普通には扱ってもらえないのは、オープンにしたなら仕方のないことですか?
>一時の苦しさに負けてオープンにして良かったのかどうか、後悔しています。
>妄想的にはならなかっただろうから。
>でもオープンにしたときはそれなりに追い詰められていたし、今更どうにもできないけど。ただオープンにしたからには、誤解されたくないと思います。
僕は、自分のハンディを人に話すとき、『アスペルガー症候群』『発達障がい』
という用語は用いず、『不器用で人よりも何かするのに時間がかかります。』『がやがやした部屋では疲れやすいです』『場の空気が読みにくいです』というように、自らの特性的なことを話すようにしています。なぜなら、そのほうが、早く暖かい・いやすい雰囲気というものが自然にできてくるからです
たぶん、キャンパスの人たちが無用な気遣いをしているように感じるのは、出した情報が『診断名+α』くらいの限られたものだったので、『クロムさんの困り感=?』という疑心暗鬼さがあるせいだと思います。
診断名よりも、『私は○○が苦手です・困っています』という風に、率直に支援して欲しいことを言ったり、『◎◎ならやれます(^_^)』という風に長所を売り込むということが、案外大切だったりすると思います。
|
|