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▼みつまめねこさん:
>でも同時に時代は障害者を認める方向にも進んでいますよね?
>それなら、そこまで困り感を持っていてなおかつ診断済みの方は
>そんな目には合わないんじゃないかなぁ…と思います。
診断を受けてしばらくの時期には、そう思ったころもありました。
そんな時代が来る、来させなければならないと信じていました。
でもね、理解が進んでいるのは本だけ、ネットの心ある人の表明だけ、口コミで評判広がっている一部の医師だけでした。
そもそも、意地汚い話になりそうですが、理解が始まってもお金はくれない。
職場で制裁以外の特別扱いはされない。
どこかの有能なだれかがレモン蒸しパンを職場に都合よく、翌日からすぐ普通に働けるように改造人間にしてくれるわけではないことが分かったら、裏切り者の汚名は私に掛かってくるものなのです。
社会は、すぐ結果が欲しいんです。ウザい思いはしたくないんです。
人聞きの悪い悪者にもなりたくないけど、なんだかよく分からない厄介事も持ち込まれたくないんです。雇用者として悩むリスクを背負えないんです。
当事者を、正規雇用、生活と自尊心を保つに足る収入の保障、かつ個性を尊重した理解ある扱い、モチベーションを最良に保つ配慮、通院の保証、休暇の保証、落ち度のフォローまで、何十年も、人が入れ替わってもずっと続けていられる余力のある職場はまだまだ限られています。
というか、あるんでしょうけど、直にみつけたことはありません。
しかし、診断される子どもは十年前よりも増えてはいるので、体制を取る雇用場所も増えてくれないと確かに困るのですが!
社会はどうするつもりなんでしょうね。私も聞きたいです。福祉作業所ばっかりを増築するのでしょうか?
生育の途中で発達障害の支援をされてきてしまったら、いくら一般の単純労働場所にもぐりこませても、根性と抑圧の一つ覚えのような、レモン蒸しパンのような働き方は、もう平成生まれの子たちには通用しないような気がするんですけどね。
農、漁、林業だってTPPやらなんやらかんちゃらで・・・・(頭フリーズ。)パソコン管理の時代だし、受け身じゃダメで創意工夫の時代だし、身体の安全のためには注意力が無いといけないし、定期通院したくても市街地からは間違いなく遠くなるし、適性が無いと分かれば農家だって雇用をやめちゃう。
だから無いものは無いので、みつまめねこさんがあと何年かしたら参戦しなければならない、これからの就職活動をするうえで、AS特性はゼロに近い位無いらしいということが分かって、めだかさんも、多くの皆さんがお祝いしている(と捉えてます。)と思うんです。
ASが無くて、良かったねえ!とです。
話がもっと逸れますが、フツーの女の子が通えるような相談場所やカウンセリングは、探してみてますか?
>自分にとってある意味どうでもいい存在である同僚から暗にどう思われたって
>会社とは別の所で自分を理解してくれる友人がいればなにも「諦め」
>「罰」なんて思考経路を通らなくててもいいんじゃないでしょうか…?
どうでもいいなんて思っていたら、バレるんです。
社会人は、新人をしばらく観察し、時には叱り、おだて、試して、いろんなことを見抜いてきます。
見抜いたことに関しての説明も求められる場面が出て来ます。
就職の面接で終わりじゃないんです。
だから、学生さんには勉強して欲しいんです。自分の価値観を整理しておいて、言葉を次々に繰り出す、文章作成力を付けておいてほしいです。
体育会系をキャラにした場合も、俗に言う“筋肉脳”だったとしても、それすら自分の言葉で説明させられます。
ましてや筋肉も無い、発達障害脳のレモン蒸しパン並みの、しどろもどろは、みっともないんですよぉー。
個性を尊重し合いながらの共存が、理想でしょうが、多くの当事者は、薬を飲みながら社会にかじりついているのが現状なんです。
家庭に入った場合も、決して粗相の数々を許されてるわけではなく、“主婦”や“母”の肩書を汚さないように、もがきながらかじりついている方が多いです。
ケアとか権利、とか主張しても、周りが付いてこれないようです。
レモン蒸しパンは主婦になったことはありませんが、多くの既婚者は、主婦になったから、母になったから、恥ずかしくないようにしようと言う気持が強く働くものらしいです。それが抱え込みを呼んでしまいます。でも、そうしてしまうみたいなんです。
>怒りを態度に出したりや100%相手を悪とするのは良くないですが、
>罰というのもまた極端というか。まだ未来に希望を持っている私からすれば
>「5割くらいなら自分を庇っても、部分的に頭の中だけでなら正当化しても
>いいんじゃない?」と思ってしまうのです…
>「ふふん、会社での自分なんてお金をもらうための世を忍ぶ仮の姿なのよ!
>本当の自分はこっちなんだから!そりゃいけなかったところは改善するけど
>心までは縛られないわよ!」くらいの気概がないと、
いいんです。いいんです。
防衛本能は大事です。
未来に希望を持つのも素敵なことです。それでいいんです!
ただASはその辺がやり過ぎると言うか、やる時は徹底してやって、周囲を敵に回してしまうんです。
一部の、AS研究をしている医療者にも「ASは人との距離が近過ぎる」という表現などで、距離感が上手に取れない厄介さを認めている方もいるんです。
こういう感覚が分からなければ、みつまめねこさんにとって、私たちはやはり地球外の“異種”の人間として認識した方が、いくらか楽に客観視できるかもしれませんよ。
別種扱いされたからと言って、今更私は、みつまめねこさんに不快感は抱きませんよ。
みつまめねこさんは、考え方に品があるし、教養もあるし、知識も理解もあるし、面白いからです。
>>労働が、週に1〜2回とか、調子のいい時だけ行けばいいような趣味的な物な>>ら、他の日にガッチリ時間と手間暇を使って、人生の主人公になりきって、自分の>>気分のメンテナンスを心行くまでしてあげられるでしょう。
これを心の中ではしたがってる当事者は多いと思います。
実際にネットの書き込みでは見たことがあります。叶わない妄想ですけどね。
>反省と羞恥に>呑み込まれて手も足も出なくなってしまいます。少なくとも私の場合は。
>諦めたり無私に帰るのではなく発奮したり自分をある意味言い訳で>許してあげて、でも悪かった面は今度から直すよう自覚して。>それでこそ頑張れる。そうじゃないですか?
悪かった面が、まるで夏休みの終わりかけの宿題のように、毎日積み重なり続けるんです。
記憶が今でも再燃してきます。
汚れていく家の中。頭の中でうずを巻き続けるシュミレーションの山。寸断されていくヴィジョン。受け身でしか待てないあらゆることのやり方の情報。欲しくてもだれもくれなかったものの数々・・・・。
一般人として、想像してみてください。四六時中再燃ばかりしている、何を考えているか分からない仕事仲間が一人、常に側にいて、察してくれるのを待たれている毎日は、とてもウザくないでしょうか。
でも反省も羞恥も無くせと言われて本当に無くしていたら、それはそれでカチンと来るはずです。(発達障害のよくある失敗です。)
こんな人のやり残した仕事なんてフォローしたくない感情を感じて当然です。
でも反省と羞恥をひたすら一人で抱え込み続けていても、(私はここの経験が何度かあります。)側にいる人間にとっては、これもウザいはずです。
でもみつまめねこさんにとっても、仕事面ではどうにもしてあげられない問題です。(それでも根気良く関わり続ける方だとは思うんですが。)
自分の力でどうにかできないなら、だったらどこかでどうにかしてきてくれ!と願う心境になるはずです。手も足も出ない。
外から見たら、殻に閉じこもってるように見えるものなんです。
私からしたら、失礼をしないように、粗相をしないようにしてるんですが。
ここで仲介できる役職の人間は、社会は用意していません。だからだれも介入しません。
こうして集団による自然発生的な暗黙の仲間はずれができあがる。
>???私は別にネットから影響を受けられたと考えたわけでは
>ありませんよ。ちょっとそれは違うんじゃないかな、と思っただけで。
すみません、憶測が走り過ぎました。分かりましたー。
>…ごめんなさい、私はそれが「普通の事」「まあ人間>そんなもの、そんなノリで空気に合わせてやることやっといて>楽しみはプライベートの時間にあれば別にいいや」って感じてるので>この辺りはよくわからないです…
>正直、不思議に思ってしまいました(ゴメンナサイ!)
>え?プライベートで発散してるんだしもやもやは友人に聞いてもらったりして
>晴れるからいいじゃない!…って。
>まあ私も、定型の方も大きな悩みや個人的な葛藤がある時は>そうはいかないですけどね。
みつまめねこさんが、健康だということだと思います。
私は教えられて身に付けてきた感じです。
>多くのASの方はレモン蒸しパンさんのように考えがちなのでしょうか?
それがこれもASそれぞれで。
人の欲求にはいくつか種類があるものですが(衣食住の欲求、安全の欲求、愛される欲求、所属する欲求とかのなんちゃらと言われるものです。)放っておいてほしいと言う欲求が突出して強いASもいるし、食べ物に対するこだわりが凄いASもいるし、自分ルールで理想通りにかまわれる要求が強すぎてDV危険因子のASも、かまう要求が強くて積極奇異のASも、よりどりみどりですね。
でも、どれもやり過ぎてしまうと、排除の元になります。
ASの一部の方で、私が個人的に間違いだと思うケースは「どうして自分の理想が叶わないんだろう?」という不満の持ち方をする場合です。
自分の欲求の正当性を信じて疑わない。
ひどいと医療も何も疑わせない。自省させない。その過剰さを、不便な特性として指摘しない。
そうじゃなくて「どうして自分は○○をやり過ぎてしまうんだろう?」と自分の欲求の極端さを憂うことが、社会の適応へ向かう悩み方だと思うんですよ。
憂いちゃダメ、悩んじゃダメ、ばかり言い聞かされて、葛藤自体を止めさせられてしまうと、次は欲求の自己正当化という極端に揺れて行くんですよ。
そっちには揺れないでぇー!そっちじゃないのぉー!と止めても、ASは曖昧に言われたら、わかんないものはわかんないんです。
面倒くさいですねぇ!ごめんなさいね。
療育の中で、上にあげた中のどなたかにはお会いしてきませんでしたか?(いやでも差し支えあったら書かなくていいんですよ。心当たりがあったら思い出していただくだけでもいいんです。)
私もみつまめねこさんが、どんな内容のAS療育を受けてきたかが気になっているんですよ。
みつまめねこさんが何を検査され、どんな価値観であることを前提にして、何を指導され、どこへ導かれたのか。
医療はASを具体的にどこへ誘導することを狙っていたのかが興味あるんですよ。
私のかかった医療は、私に黙る薬を飲ませようとするばかりで、私に何をしたいのかがさっぱり見えなかった!\(-o-)/
折角葛藤して、葛藤して、心を開いてみたのになあ!
だからもう開けない。賭けるギャンブルは沢山です。失望する愕然とした思いをする瞬間はもう沢山ですよ。目の前に契約されるもの(何を?と聞かれても私も分からないし、それを言葉にしようとするとおかしくなりそうになるからもう頑張らない。)にしか興味を示さないことにしたから、そこまでしてもらえる時代が来るまで、私は何もしたくない。
>母性…ほど立派なのかは分かりませんが、私にはできない人の辛さも>できる人の驕りも、できているつもりができていない人の未熟さも>全部分かるのでついついそのうちのどれかで苦しんでいる人がいると>手を差し伸べたくなるのです(ある意味、これも驕りかも…w)。
>そこまでは思い詰めませんよー。大丈夫ですよー!
人を放っとけない人なんですね。
人を大事にする人は、人からも大事にされる人です。
これを書くために、選挙速報を消音にして、聞いちゃいませんが、こんなみつまめねこさんが損をしない社会になってほしいものですよ。
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