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▼ssさん:
> もっといい加減になるべきだと思います。なぜいい加減になれないのかと考えると、自分が無いからだと思います。いい加減になれるのは、自分が何なのか見えていて、確かな物が何かわかっているから、それに影響の無い事に関してはどうでも良いという風になれるんだろうと思います。その確かなものがないと、どこまで譲っていいかわからないと思います。ASが自分を知る手がかりになるかも知れないので、慎重にそれについて自分と照らし合わせているという感じです。
ssさんはご自分についてかなり分析ができてらっしゃるように思います。
言い換えれば、ssさんはかなりご自分を客観視できる特長がある
とポジティブに捉えられます。
また、理路整然とした論理を好む、という特長は、仕事でトラブったとき
に出すと確かに言い訳と捉えられますが、言い換えれば理性的で、
生真面目で、信頼できるともいえますね。
ご自分生来の持ち味というものも、TPOによっては欠点にもなるし、
長所にもなり得るのです。
怠けか、発達障害の特性か、というようなことについては、
100%どっちがどっちということはないと思います。
確定診断を受けてもそれが言い訳になるわけでもないし。
でも、ご自分の特徴を知ることは、今後おおいに役立つことと思います。
結さんのおっしゃるとおり、
「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」
ですから。
もう一点だけ。
私にとって「敵を知る」ための手掛かりは、定型と言われる人びとを
よく観察することでした。
たとえば、働いてたとき、職場の女性が集まって一緒に昼ご飯を食べて
いて、最初誘っていただいたので一緒にランチを食べてました。
そういう暗黙のルールだと思ったからです。
でも、それこそssさんのおっしゃるように、みんなが世間話で笑ってる
とき、一緒に顔は笑ってても、内心、なんか意味ない、と思ってました。
だんだんとランチで仮面をつけてるのが苦痛になってきたのですが、
そう思って改めてよく周囲を観察してみますと、他にも
「持参した音楽テープを聴きたい」とか「早く食べてスポーツしたい」
など、理由はあるけどひとりでランチを食べてる人もいることに気付き、
別に暗黙のルールじゃなかったんだと判明しました。
それから、理由をつけてはちょくちょく抜け、徐々にひとりで食事を
するようにしたら、意外にも(笑)それで通ってしまったのです。
世の中、あるいは人間ってもんがどの程度いい加減なのか、
定型といわれる人々をよく観察してみるのもひとつの手ですね。
意外に、ssさんみたいに真面目に「みんなが笑うときは笑う」とか
義務感を持ってたり、確固とした自己像を探り持ってるひとは少数派で、
「自分がしたいことをする」だけのひとも多いように思いますよ。
ご自分の義務感やこだわりから、徐々にご自分を解放する目安に
なるかもしれません。
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